横浜(石川町、元町周辺)という町の特異性ついて

横浜の特異性 ヨガ

森の時計は、2018年2月~2020年3月まで、横浜市中区石川町にて料理教室とヨガ教室を開催していました。

本記事では、横浜、その中でも教室のあった石川町~元町エリアについて、書いてみます。

※個人の主観になります。

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石川町・元町エリア

少し丘を登れば、西洋館が散在していて、 散歩にうってつけ。

そんなところにあこがれ、私は石川町駅付近に2年弱住み、教室を運営しました。

住んでみて、ほんの少し歩くだけで表情ががらっと変わるこの地域を、奇妙にも、面白くも、 不思議にも感じていました。

石川町駅周辺は南北に走る線路(京浜東北線)と、東西に流れる中村川によって、大きく4つのエリアに分けられると思います。

第一象限(x軸、y軸でつくる座標の右上)には中華街、第二象限にはドヤ街(左上)、第三象限(左下)には住宅地があり、第四象限(右下)には元町がある……というのが、この付近の構成、だと思います。

ちなみに、教室は第三象限の住宅地の中にありました。

 

歴史と異文化

運命のペリー来航から港町として栄えた横浜

横浜の「港町」としての印象は、 港がなければあり得なかった発展を送げた歴史により、色を濃くしているように感じます。

黒船が来航し、戸数の少ない寒村であったという横浜村にて、日米和親条約が締結され、その後、日米修好通商条約が締結されました。

当時宿場町として栄えていた神奈川湊から外国人居留地を遠ざけるために、 対岸の横浜村を開港地としたとされています。

ドラマがありますね。

外人が入ってくるというリスキーな場所に選ばれてしまった横浜に、外国人居留地、波止場、 税関ができ、その後の発展の基となりました。

横浜中華街

横浜村は幕府が設置した運上所(税関)を境に、以南を外国人居留地(横浜居留地)、以北を日本人居住区とされます。

境界には関所が置かれ、関所から外国人居留地側を関内、以外を関外と呼びます。

横浜中華街は外国人居留地の中に形成された中国人商館を起源とするようです。

 

寿地区│日本三大ドヤ街

一方、寿地区は、日本三大ドヤ街(日雇労働者のための簡易宿白所がある街)です。

第二次世界大戦後、1955年までアメリカ軍によって接収され、解除後、簡易宿泊群の建設、日雇い労働者がが大勢移入し、ドヤ街が形成されます。

治安が乱れ、無法状態の時期もあったようです。。

 

川(高速道路)を挟んで北側には、私は行かないようにしていました。。

夜は、ほぼ毎日のように救急車かパトカーの音がして、 赤いサイレンがくるくる回る光が窓越しに見えました。

 

経済格差を感じる住宅地

川より南側は、北側のように激しいところではありませんでした。

普通の住宅地です。

しかしながら、さらに南、丘陵を登れば、 お金持ちの方々のお屋敷が立ち並んでいるのですから、その格差に、びっくりするというか、唖然としてしまいます。

元町ショッピングストリート

第四象限には元町ショッピングストリート、元町中華街駅があります。

1960年代後半(昭和40年代)から活況を呈したようですね。

ここはセレブが行き交う町というイメージです。

日本の中でも、かなり独自のまちづくりをしているところではないでしょうか。

ちなみに、今見ているエリアの中心にある石川町駅は、乙女駅の異名をとるほど女子学生の乗り降りが多いのですが、

1970年代後半(昭和50年代)には、元町ブランドで固めた山手の女子高生たちのファッションが、ハマトラブームを起こしたらしいです。

私は全然知りませんが。。

 

石川町~元町を散歩する

線路と川で分けられた区域ごとに、上記で見てきたような特徴があります。

私はこのあたりに、2年弱住んでいました。

いわゆる「観光地」である中華街や西洋館には、たまに足を運びました。

食べ物の匂いで充満した、赤と黄色の光がまぶしい、賑やかな中華街から、道路を挟んで元町の方に出るときのギャップといったら、すごかったですよ。

川こっちと川むこうで、こんなに雰囲気が違うのか、というほど違います。

元町の方は、キラキラしたイルミネーションに、ヨーロッパを模したような街並み、おしゃれなカフェ、洗練されたブランド品、高級な店構え。

ディズニーランドによく行く人がいたら、○○ランドというエリアに分かれているのをご存知かと
思いますが、まさに、ランドをまたぐ感じです。

アドベンチャーランドからファンタジーランドに行くような……

中華街から元町へ移るというのは、そんな感じです。

 

元町から坂の上に行くとさらに様子が変わります。
恋人たちの聖地・海の見える丘公園、外人墓地、西洋館。

どこの社長が住んでいるのかと思うようなお邸。

(私の連れは、丘の上に住まう人々のことを「殿上人」 と呼んでいました)

私は、お昼にこの坂の東の方 (海側)を歩くのは好きだったのですが、 夜はちょっと怖くて、連れと一緒だったとしても、怖がっていました。。

シーンとしていて、荘厳なお屋敷が、 ホーンテットマンションみたいで。。
(さっきからいちいちたとえがディズニーランドですみません)

 

歴史と異文化、ここを訪れる、または住んでいる人たちの多様性…

一つのエリアに、こんなにも複雑にまぜこぜになっているなんて……
異色の町でした。

そんな場所に住んで、心底楽しい思いができました。