【本の紹介】愛するということ│エーリッヒ・フロム著

愛するということ おすすめ本

エーリッヒ・フロム著『愛するということ』を紹介します。

この本で伝えられている(と私が解釈した)内容の現実例を、私の個人的な生活の中で発見しましたので、

そのエピソードと交えてお伝えします。

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概要

書籍名 愛するということ
著者 エーリッヒ・フロム著
鈴木 晶 訳
値段 1,388円+税
ページ数 133ページ
新版初版発行 1991年(初版発行:1956年)

 

この本は、私がヨガを本格的に学ぼうと思った出来事が起こって、
メンタル的に沈み切っていた時代に買ったものです。

OL時代、この本を昼休みに職場で読んでいたら、同僚が
「愛するということ」
と、ちょっと面白がって題名を読み上げました。

そうですよね、、
見る人によっては、
頭でっかちな印象や、センチメンタルな印象を持たれるかもしれません。

通常の状態の時には手に取らないかもしれませんが、
迷っている時や乱れている時には、活路を模索する中で、なにかの糧になってくれるのは、
この手の本かもしれません。

 

この本は、3月に横浜から名古屋に引っ越す前に、とある方にお渡ししました。
なので今は私の手元にありません。

読んですぐ、要約を自分でまとめた記憶があるのですが、
内容について思い出せないでいました。

けれど、最近、婚約者とのやり取りの中で、
「この本で伝えていることって、こういうことだったような」
と思い出すようなことがありました。

勝手に期待を抱いて勝手に失望している

引越し、職場の変化、婚約から結婚の準備。

たくさんの変化を、同時期に起こそうとしている。
それが大変だという認識が、お互いにあまりなかったのですが、
3月下旬になって、様々な現実に直面し、さすがに事の重要性を認識しました。

それが原因と言うよりは、引き金になって、
今までになく、やや激しい言い合いになりました。

言い合うとお互いにすっきりして、闇に隠れていたいい部分が出てきました。
そして、その「闇」は、相手ではなく、自分が作り出したものだということに気付いたのは、
私も彼も、ほとんど同時でした。

「相手が(当然)してくれるだろうと思っていたことが、その通りにならなくて、嫌な気持ちになってしまった」
「勝手に期待を抱いて、期待が外れて、勝手に失望していた」

この時使われた「期待」という言葉は、自己本位の「甘え」と言い換えることができると思います。
一人の時には、当然一人でやれていたことを、甘えで相手に委ねてしまったということです。

この「期待」に「信用」の意味は含まれていません。

「相手が甘えさせてくれなかったので失望した」
のと、
「相手を信用できないと思い失望した」
のでは、ちょっと意味が違います。

今回は、後者ではなく、前者の意味で落胆してからのイライラだと気づき、
最終的に、自省するとともに、安心しました。

無償・思いやり

「愛するということ」とはどういうことなのか。

本を読んで、結論となる「キーワード」を強いて抜き出すならば、

「無償(の愛)」

「思いやり」
です。

とてもありふれた言葉で、それでいて、なかなか実感しにくい言葉です。

今回の例でいうと「期待しないこと」が「無償」に近いワードだと思いますが、
突き放した感じの「期待しない」ではありません。

依存し過ぎない、というニュアンスが強いです。

依存するでも、依存されるでもなく、
相手のことを思って自分が何かをしたり、あるいは意図的に何かをしなかったりする。

これが「思いやり」です。

言葉の定義をしたいわけではないのですが、
「愛すると言うこと」で伝えられていたのは、主にこういうことだった……
と記憶しています。

毎日の生活で「愛」の姿は見え隠れしますし、
それを表す言葉(たとえば思いやりとか無償の愛というような……)であふれているのに、
私たちはそれについて考えることが、
どのように「愛したい」のか、そのためにどう行動したらいいのか考えることが、
あまりありません。

自分の状況を振り返ってみて、自分事にあてはめてみると、
この本が伝えたかったこと、
というより、この本を読むことで実践してほしいと作者が意図したことを、
少しは実践できるのかもしれません。