講師プロフィール│小澤亜紀│アーユルヴェーダスクール主催(愛知県名古屋市天白区)

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講師挨拶

こんにちは!

愛知県名古屋市天白区でアーユルヴェーダスクールを運営している小澤亜紀です。

延べ受講者1500名以上
教室を運営して早7年近く!

若い頃の喪失経験から精神的に不安定になり、安定した仕事を離れたストレスで体中に発疹ができた私でしたが

くじけずに教室を続けたことで
今は(コロナ⇒オンラインレッスン開講により)県外や海外からも生徒さまが参加してくれるようになり!

愛知県でアーユルヴェーダ料理教室といえば先生のところ!と言ってもらえるようになりました♡
⇒今は講座が増えて「スクール」という扱いです。

自分の歩むべき道から目をそらさず(⇒これを伝えるのがヨガ)
健全な身体でもって(⇒これを成し遂げるのがアーユルヴェーダ)
努力し続けてきて(最後は気合い(笑))

今は本当に良かったと思っています。

本稿ではそんな私のストーリーをお伝えします。

私の幼少時代

私は絵を描くことを始め、何かをこつこつ作るのが大好きな子でした♪

動物の漫画
ポケモンの漫画
いろいろ書いてました♡
でも運動は大の苦手…(笑)

小児喘息、中耳炎、アトピー性皮膚炎など、アレルギー体質にも悩まされてました。
顔や体型にもめちゃくちゃコンプレックスがありました。

特発性側弯症なので、体も小さいころから歪んでいます。
ずっと小太りだったので、小学二年生の時は「丸顔アッキー」という歌を作られて友達にからかわれてました💦

 

性格は内向的で、年齢が上がるにつれ、以下のようなことが苦手だと気づくようになりました。

・人と接することが苦手
・自分の好きなことや感情を表現するのが苦手

人と関わるよりも、家で何かを創造したり、気分を高揚させるような知識を身に着ける時間が好きでした。

学生時代~就職

あんなに物語や絵を描くことが好きだったのに
中学生の頃から私は「成績を伸ばしていい学校に入る」ことを重要視していました。

中学~高校では、テニス部、演劇部に所属し、休まず部活に参加しながら勉強をしっかりやるというガリ勉タイプでした。
(ちょっと嫌な奴ですね💦)

その甲斐もあって旧帝大に入り、ワンダーフォーゲル部に所属し、山や世界を渡り歩くような開放的な日々を送りました。

しかし、その頃の私は、楽しかった部活や研究に夢中になるばかりで

将来何をやりたいのかよく考えもせず
世にどんな仕事があるのか深く調べもせず

なんとなく「大企業」ばかりにエントリーシートを提出していました。

大企業に就職したほうが、親も喜び、安定した生活が送れ、社会的にも認められる。
今まで勉強漬けだった自分の人生が「報われる」と思っていたんですね…

就活の結果、総合酒類飲料メーカーに内定。
ビールに関わる仕事を選んだのは、お酒が人を楽しませるもの、人生の一場面に華を添えるものだと思っていたからです。
研修後は、物流部門に配属され、受注業務、物流拠点での配車・在庫管理業務、本社でのギフト創製指示、受委託業務などに関わりました。

大企業の総合職となれば、順風満帆か…!と思いきや、挫折の道を歩むのでした…

心と体の不調・異変

就職後、私は職場の変化や人間関係、オーバーワークからストレス過多になり、無月経を繰り返し、常に便秘気味でした。

社会人になってから始めたヨガにも、なかなか行けなくなるほどでした。

仕事にはそこそこやりがいを見出していましたが

自分の一生をかけて取り組むべきことは「世の中にビールを届けることなのか?」と疑い始めました。

ヨガ⇒健康、美容について考えるようになり、お酒の必要性を感じなくなったからです。

過剰なマーケティングに虚しさも覚えていたからでもあります。

けれど…
最も大きな理由は、その頃最も大切だった、人間関係上の大きな喪失を味わい、苦しみ悲しんだことにあります。

その時、(その失った人を除いては)自分の人生になにも満足していなかった自分に気づきました。

忙しい毎日の中で、ただ「いつかの日」に備えて貯蓄をするだけの生き方をしていても、実際にはそのお金を使ってやりたいこともなく、心は満たされなかったのです。

未来の安定だけを目指すのではなく、「今、この瞬間」を楽しみ、満足できる生き方を模索し始めました。

そして、そのヒントを与えてくれたのがヨガと、ヨガを学ぶ中で出会ったアーユルヴェーダだったのです。

会社員を辞め起業!でも未熟すぎて…

「幸福を誰かの存在に委ねることなく、自分に対し満足感を持てる生き方をしたい!」
と、私は思い切って会社員を辞めて、アーユルヴェーダ料理教室を創立しました。

でもしばらくは収入が安定しないので、二足の草鞋です。

自分のスキルを上げるためにも、アーユルヴェーダが根強く残る国であるスリランカの料理を提供するレストランで働きました。

ディデアン

途中、スリランカにも渡航し、「シャンティランカ」で現地のアーユルヴェーダトリートメントを体験しました。

スリランカでトータルケアを体験した私は、アーユルヴェーダが心と体の両方に深い癒しをもたらすことを実感しました。

※トータルケア:食習慣、生活習慣、マッサージ、ヨガ(運動)…など、様々な方向から健康をサポートする。

その素晴らしさを多くの人に届けたいという想いが強まり、教室業を続けながら、新たな挑戦としてアーユルヴェーダサロンへの転職を決意しました。

セラピストの仕事

しかし、この時私の身体と心はぼろぼろでした。

・アーユルヴェーダ教室をしながら自分が食べるものは極めて粗末
・飲食業と料理教室を平行し手湿疹
・経済的な不安定さ、二十代後半という年齢からくる将来への不安

教室の運営も未熟なことばかりで、コースレッスン受講中の教室の生徒さまから「やめられるものならやめたい。お金を返してほしい」とまで言われました。

私は、泣きながら当時住んでいた近くの横浜の外国人墓地へ向かい、自分を慰めるためにモンブランを食べました。

今もモンブランを見る度に苦い気持ちが蘇ります。

湿疹はもはや全身に広がり、サロンの仕事ができない状態に。

愛知県の実家で1週間ほど静養するも、復帰はかなわず、退職となりました。

帰省した時、28歳にもなって、親から現金10万円を生活費の工面に渡された時の虚しさ…
今でも忘れません。

体調の回復・教室復活のきっかけ

手湿疹の悪化から料理教室は実質クローズ状態で、仕事も失ってしまいました。

この先どうするか自問自答を重ね、料理教室だけは続けたいという思いが勝ち、
「派遣社員として働くことで、安定した収入を得、その上で料理教室を頑張る」
ことに決めました。

やっぱり二束の草鞋で教室の運営を続けます。

その頃、私は何よりも自分の体調を回復させるため、健康的な食事を作り、インスタにUPしていました。
すると「いいね」が増え、教室に予約が入り始めたんです…!

そして、レストラン、サロン勤務時代に学んだお客様対応、スキルを料理教室に少しずつ反映していったところ、生徒さまが徐々に増えはじめました。

私は「今この瞬間」に満足できるような生き方を目指してOLをやめた時の自分の気持ちに、やっと応えることができたかのように思いました…

あそこで諦めなくて、本当に良かった><

しかも、このボロボロだった時に付き合い始めた人と結婚し、教室は名古屋へ移転することとなりました。

移転前の一か月は、一日に料理教室を三本するほど予約が入り、ヨガインストラクターの生徒さんから
「ヨガですら一日三本はきついのに、料理教室を三本するなんて、信じられない!」
と言われました(笑)

コロナ禍・オンラインレッスン開始

名古屋に移転して間もなく、コロナの流行が本格的になり、オンライン料理教室を始めました。

生徒さまにアドバイスをいただきながら、オンラインならではの工夫をして、もともと得意だった「書く力」「まとめる力」を活かし、テキスト編纂にも力を入れました。

仕事を通して、自分の「得意」「好き」を活かすことができるようになるなんて…!
絵と文章の道を諦めた頃の自分に言ってあげたい(笑)

出産・子供のアレルギー

2021年7月に第一子(長男)を出産しました。

息子は、生後三か月頃から肌トラブルに悩まされるようになりました。

食物アレルギーに悩み、家族みんなで食生活を整える過程で、夫は半年でマイナス5kg、私はつわり期の体重まですみやかに産後の体重が減る、膨満感が軽減するなどのメリットを感じました。

本来は息子の皮膚の問題を改善するために行っていたことですが、大人にも良い影響があり、幸運にも息子もいくつかのアレルギーは克服しました。

しかし、息子が食物アレルギーかもしれないと分かった時のプレッシャー、食べ物の選択肢が少なくなることへの不安を抱いた経験から、グルテンフリーのおやつ教室(レッスンの一つ)が生まれました。

料理教室⇒スクールに

アーユルヴェーダ料理教室を運営していて何度も感じていたことがあります。

体調を良くしたいと思って参加してくれる方が多いのですが
「一回や二回教室に参加しただけじゃ、知識も定着しないし、心も体も大して変わらない」
という問題です。

料理教室をぽつぽつ開催しているのでは、生徒さまの心と体を癒すことができない。

そこで、健康に関するコンサルやサポートをしながら、アーユルヴェーダを学べるよう、アーユルヴェーダ認定トレーニングを開設し、料理教室からスクールに変更しました。

私の仕事の目的

私の仕事の目的は、「生徒さまがアーユルヴェーダの知識を習得し、料理スキルを習得する」という講師としての役割を果たすと共に、

  • 親しい家族や友人には話せないようなことも、さらっと話せる空間で癒される
  • 明日への活力を養う

という心の豊かさを養うことにもあります。

昔、私が心の支えを失ったころ、「今この瞬間を生きるのも苦しく、人生を早送りしたい」と思っていた私の心のよりどころは、メンタルクリニックでも精神科でもなく、「癒し」の場であるヨガスタジオと「元気」を与えてくれる料理教室だったからです。

今度は、私が皆さまに癒しと元気を与える番です。

人が変わるのに、遅すぎるということはありません。

私も、ヨガとアーユルヴェーダに出会ってかなり変わりました。

大企業で働くという社会的ステータスや、経済的安定性、親や友達からの目…

そういうものに囚われず、自分の「好き」や「得意」を活かし、人生の中で自分が果たしたい目的に向かっていったら、

自分の人生に対しものすごく満足感が得られるようになり、自分に自信を持てるようになり、自分が好きになりました✨

 

生徒さまが、「自分の歩むべき道(人生)」に向き合い、気付き、
その道を健全な心と体でもって歩むために、
ヨガとアーユルヴェーダをツールとして、
精一杯サポートさせていただきます。

 

アーユルヴェーダ小説

アーユルヴェーダを「物語」を通して学びたい方は、私が4年の歳月をかけて書いた

アーユルヴェーダ小説「HEALERS」

をお読みください。

教科書よりも具体的に、ストーリーでもって、アーユルヴェーダとヨガの癒しのパワーが分かっていただけるはずです。

 

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保有資格

  • 全米ヨガアライアンス(RYT200)認定インストラクター
  • 高津文美子式フェイシャルヨガ認定インストラクター
  • 日本起業アカデミー㈱認定ロースイーツアドバイザー修了
  • Hale Pule認定アーユルヴェーダ・ヘルスカウンセラー資格取得に向け勉強中
  • 乳幼児食指導士

経歴・職歴

  • 出身地:愛知県
  • 出身校:名古屋大学文学部人文学科卒業(地理学専攻)
  • 職歴
    ・2013年4月~2018年3月:5年間、大手総合酒類飲料メーカーにて勤務、その後退職。
    ・2018年4月~2019年1月:蒲田アーユルヴェーダカフェdidean勤務
    ・2019年2月~2019年5月:アーユルヴェーダスパカイラリ勤務
    ・2018年2月~2020年3月:料理教室 森の時計 創立・運営(横浜市中区石川町)
    ・2020年4月~2022年5月:料理教室 森の時計 運営(名古屋市千種区)
    ・2022年5月~:料理教室 森の時計 運営(名古屋市天白区)
    ・2024年9月~:料理教室から「アーユルヴェーダスクール」に変更