第62話「まこも」アーユルヴェーダ小説HEALERS

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 寛子との事前コンサルは、午前十時から始まった。
 寛子は長野県に住んでいる二十八歳の女性で、四歳年上の夫がいる。最近、セラピストとしてアーユルヴェーダサロンに就職することが決まった。三度目の転職先であった。あかつきへ滞在を決めたのは勉強のためでもあるらしい。気質的にはピッタが優勢で、非常に仕事熱心である。複数のドーシャの乱れがあり、歯ぎしり、耳鳴り、膨張感、げっぷ、フケ、沈む便、動悸、寒がり、セックス時の痛み、痔、花粉症、むくみ、PMS…身体的な不調は枚挙にいとまがない。現在通院はしていないが、過去には肝臓ポリープの摘出手術を行っている。診断されてはいないものの、大学生の頃から五年ほど前まで、過食嘔吐症のきらいがあったとのこと。感情の浮き沈み、不安、せっかち、人と比べて落ち込む、自己肯定感の低さ…精神的な不調も感じている。
 あかつきへの滞在に対し望んでいることは、自分をより良い状態にすること。
「では推奨事項をメールしますので、滞在までの間にできるだけ実践してくださいますようお願いいたします」
 杏奈はそう言って、コンサルを締めた。一時間の予定が、ニ十分ほども超過してしまった。
 美津子を目の前にしてコンサルを行うのは、杏奈にとって苦痛だった。自分の未熟さを暴露するようで、恥ずかしい。
「アーユルヴェーダの実践は、至極簡単なものだと思ってもらわなければならない」
 さっそく、美津子は気になったことを伝えた。
「今回のクライアントは、アーユルヴェーダの知識があるけれど、あなたほどではないわ」
 寛子はアーユルヴェーダセラピストになったものの、学習歴は浅く、施術に関してもこれから学ぶところだ。
「専門用語を使った細かい説明をされると、わけが分からなくなる」
 杏奈は途中から熱が入ってしまい、どの疾患がどのドーシャに起因しているのか、立て続けに話をしたのだ。それは全く不必要なことではないが、初回のコンサルで長々と話すべきことではない。だいたい、一時間二十分という時間が長すぎる。コンサルティショナーの方が喋り過ぎている場合はなおさら、相手を疲れさせるし、よほど最後に念を押さない限り、長いコンサルの中で結局何が重要だったのか、要点を掴めず終わる可能性もある。
 美津子はさらに、「自分の体験と重ねて伝えた方が良い」という指摘もした。クライアントが理解を深め、納得するために、細かな見解や説明をすることも必要だ(もっとも、杏奈の場合は詳細すぎたが)。加えて、その実践をすることで、自分はうまくいったとか、うまくいった人もいるとか、事例を見せてやることもすごく大事だ。
「人と自分は違うのだから、それとて、提案の正しさを裏付ける証拠にはならない」
 でも、うまくいく場合もあることを伝え、モチベーションを高めてやるべきだ。
「はい」
 美津子の言うことは、分かる。しかし、実際のコンサルで、相手の習得度に応じて平坦な言葉で説明したり、自分の経験を即座にあてはめたりすることは、至極困難に思えた。杏奈は事前準備をしっかりとしていたが、それでも実際相手を目の前にすると動揺した。監督役の美津子が傍にいたからなおさらだ。
「美津子さんは、事前コンサルの準備にどのくらいの時間をかけますか?
 他のフィードバックを受けた後で、杏奈は訊いた。 
「そうね…」
 美津子は健康に関する質問票を目の前にかざした。
「ざっと読んで、要点にチェックを入れて…ニ、三十分といったところか」
「二、三十分…」
 たったそれだけの時間で。
「私は、今回の準備に、四、五時間はかけたと思います…」
 原因と結果を結び付け、特定の疾患の一般的な原因を探り、寛子に伝えるべき言葉を準備するのに、何日かかけた。四、五時間では済まなかったかもしれない…何を訊かれても返答できるように、理論武装したのだ。
─なるほどな。
 と、美津子は思った。調べ尽くし、考え尽くしたことが裏目に出て、杏奈の説明は難解になってしまったのだ。
「初めてだし、そのくらいの時間をかけるのは、悪いことではないわ」
「はい」
「あなたはどうしても、クライアントのもっている症状に目がいくのね」
 その通りだった。
─病気を見るな。
 美津子にそう言われたことは、覚えているのに。
「今ある症状を緩和してあげたいと思うのは仕方ないことよ。けれど、症状に目を向けると、大事なことが分からなくなる」
「はい」
「私たちはいつも、クライアントのアグニと、ドーシャのバランス、あるいはマハグナに、目を向けていなければならない。それが、クライアントのどんな行動や思考、感情によって、どういう状態になっているか。コンサルで最もスポットライトを当てるべきなのは、今現在のクライアントの行動や思考の傾向なのよ」
「はい…」
 杏奈は質問票を見つめた。自分なりに、原因と結果を結び付けたつもりだったが…
「あなたは洞察力はあるのだから、今後はクライアントにとって必要な情報だけを、小学生に言っても分かるような言葉で伝える練習をすることね」
 美津子はそう言って、口元に笑みを浮かべた。
「大丈夫。うまくなるわ」
 杏奈は、思わず胸元に手を当てた。美津子の微笑と優しい言葉はいつも、安心感とやる気を与えてくれる。

「美津子さん、お昼は早めでもいいですか?」
「いいわよ」
 杏奈は時計を見た。空楽は朝からまこもの植え付けをすると言っていたが、まだやっているだろうか。
 寛子の都合で事前コンサルをしたものの、今日は杏奈にとって休日だった。事前コンサルの準備と実際のコンサルで緊張しっぱなしだったし、美津子からのフィードバックで頭の中がぱんぱんになってしまい、今日はしばらく頭を使えそうにない。
 まこもの植え付けに、格別の興味があるわけではなかったが、空楽の誘いを無下にするわけにもいくまいと思った。
 昼食を終えると、杏奈は電動自動車であかつきを出た。足込町はその面積のほとんどを山林が占めるため、平坦な道は少ない。普通の自転車では、目的地に着くまでに体力をもっていかれる。
 ぽかぽかと暖かい日だ。
 杏奈は白いティーシャツにジーンズ、日焼け防止のネルシャツという、いつもと変わらない出で立ちだった。来る場合、特に持ち物はないが、汚れてもいい服で来るようにと言われていた。
 林道を下っている間、ポニーテールにした長い黒髪が風になびく。
 主要道に出ると、右に折れ、西の方角に進む。なんとなくの場所は聞いているし、現地の写真ももらっている。杏奈はそれを頼りに、時折自転車を停めて位置を確認しながら、まこもの栽培地とやらに向かった。
 町役場を越え、農協を過ぎ、途中トンネルをくぐると、道が大きくカーブする。道路の南側に、開けた土地が見えてくる。あたり一面、田んぼ、または耕作放棄地、または単なる原っぱである。民家もほとんど見当たらないが、ぽつんと大きな建物が見える。月小学校だ。月小を過ぎると、まただんだんと起伏が激しくなり、南北に走る小さな川に行き当たる。田籠川の支流・貝津川。杏奈は川を渡る手前で左折し、川の左岸沿いの道をまっすぐ進んだ。
 目的地はもうすぐ。今一度、スマホを開いて目的地の写真を見た。直に、川と道路との間が開けてきた。まこもの栽培地は、その川と道路の間にあるようなのである。
「あ、杏奈さーん」
 水田にふくらはぎまで沈めた若い女性が、折っていた腰を起こして杏奈に手を振った。
 杏奈は自転車を停めた。思った以上に暖かくて、額に汗をかいている。川沿いの道を進んでから、一回も車とすれ違わなかった。
 空楽は田んぼの端まで進んで、
「そこの道路わきに自転車停められますよ」
 と、二台の軽トラが縦列駐車されている方を指差した。軽トラの間には、空楽のものだろうか、一台の電動自転車。
「迷いませんでしたか?」
 空楽は田んぼから出ずに、畦道に立つ杏奈を見上げた。
「はい、なんとか」
 杏奈は改めて空楽がいる田んぼを眺めた。縦長の小さな田んぼで、空楽以外にも、三人の大人がいる。
 空楽は七分袖の白いティーシャツ、黒いズボンという恰好で、黒いキャップを被っていた。
「軽トラの荷台に麦わら帽子があると思うんで、使っていいですよ」
「ありがとうございます」
 確かに、存外に日射しが強く、帽子が不可欠だ。
 空楽は挨拶も手短に、作業に戻った。
 すでに田んぼの面積の約七割に、小さな、稲のような植物が植えられている。といっても、田植えの時期の稲ほど、その葉は短くない。これが空楽のいう、まこもなのか。
 なんの説明もないまま、しかし邪魔するのも悪いので、杏奈は適当なところに腰を下ろして、作業を見つめた。

 作業している四人のうちの一人、中年の男性が、一ケース分のまこもを植え終わり、新しいケースを畦道まで取りに来た。この男も黒いキャップを被っている。男が顔を上げると、男の日に焼けた顔が見え、その顔は、たちまち皺くちゃになった。
「こんにちはああぁぁっしょいっ!」
「…!?」
 威勢のいい声を浴びて、杏奈はとっさに身体が男性から遠のいた。
 田んぼにいた中年の女性が顔を上げ、男に生暖かい視線を浴びせる。空楽も身体を起こし、二人のほうに視線を向ける。
「えと、私空楽ちゃんの知り合いで…」
「あーっ、あかつきの方ですね」
 男は、だいぶハスキーな声をしていた。それに、あかつきを知っているらしい。
「どうもー、親父がお世話になっています」
「小柳さん、ドン引きされてますよ」
 空楽が抑揚のない声で言った。
「え?挨拶しただけだけど」
 杏奈は絶句しながら、親父とは誰のことなのだろうと、あかつきの面子を思い浮かべた。その答えはすぐに空楽が教えてくれた。
「柳さんの息子さんだよ。でも、柳さんと区別するために、小柳さんって呼んでる」
「…」
 杏奈は反応の仕方に困ったが、心の中では、
─なんだそりゃ!
 と叫んでいた。親子を区別するために呼び方を変えるという発想に対しての突っ込みだ。
 杏奈は目を見開いて、空楽と小柳(本当は柳だが)とを交互に見た。この男は、畑を手伝いに時々あかつきに来てくれる、あの柳の息子なのか。小柳の顔を改めて見ると、彼はニコーっと笑った。
 柳は色黒で顔は皺くちゃで、腰もやや曲がっているが、まさに山に土に生きた男というべき、厳かさがある男だった。しかし、その息子─便宜的に小柳と呼ばれている─は、厳かさとは程遠く、どこか愛嬌があった。
「それ、取ってくれる?」
 小柳は白い箱に入ったまこもの苗を指差した。みんなこれを傍に置き、一つずつ、等間隔に水中に沈めている。
 杏奈は箱を持った。重い。
「私、まこもは初めてで」
「そうなんですか」
「何なのかも知らなくて」
 男は肘の下まで届く手袋を片方だけ取って、首元に巻き付けたタオルで、汗をぬぐった。
「まこもはイネ科の植物でね」
 確かに、その葉は稲に似ている。
「昔はこのあたりにも、日本に昔から自生しとったらしいまこもが、生えていたようだけんども。古代種といわれるやつがね」
 小柳は川沿い一帯を指差した。
「原初の月(地区)は田籠川、貝塚川の氾濫原だったんだろうねぇ。両方の洪水で川原になって、そこにまこもがいっぱい生い茂っとったようだけんども」
 土地に川の水が溢れ、その水面に月が映っているのを見て、この地は月と呼ばれるようになった。
「それもいつしか消えてしまったと言われとったんだけんども、数年前に親父が、貝塚川の川下に古代種が群生しているのを見つけて、足込の特産を作ろうと栽培を始めたっていうね」
「そうなんですか。私は、まこもという植物があること自体、知りませんでした」
 道の駅や、地元のスーパーであるわかばでも見たことがない。
「本当ですかぁ?秋にはマコモダケを道の駅で売っとったけど」
「認識していなかったので…目に入らなかったのかもしれません」
「まこもで作ったしめ縄を、栗原神社にも献上しに行くんだよ…栗原神社はあかつきの近くでしょう?」
「そんな使い方もあるんですね」
 今はまだ背丈はそれほどでもないが、この葉はきっと大きくなり、藁のように使えるのだろう。
「あんた、サボっとらんで手を動かしゃあ」
 中年の女性が空になった箱を運びつつ、小柳を小突いた。小柳の妻なのだろう。
「すみません、邪魔をして…」
 そう言う杏奈に対しては、妻女はにっこりと笑った。
「いいんですよ。あとでちょっとやってみますぅ?」
「え…ええ」
 杏奈はそう言ったものの、気が乗らなかった。第一、水田に入れるような装備は持ってきていない。
 妻に小突かれ、小柳はしずしずと持ち場へ戻っていった。入れ替わりに、空楽が杏奈に歩み寄った。
「私の長靴使ってください」

 杏奈は裸足になって、長靴を履いた。ネルシャツはお腹の前で硬く縛り、裾ごと長い手袋の中に入れた。この手袋は予備のものを借りた。
 空楽は素手で作業していた。水中にどんな虫がいるかと思うと、杏奈には真似できなかった。
「栽培種と古代種を分けて作ってるんですが、これは栽培種。マコモダケができる外来種ですよ」
「そうなんですか」
 二つは、用途が違うらしい。
 空楽は畔道に腰を下ろし、その位置から、杏奈に苗を植える感覚やら、深さやらを教えた。
 小柳の妻が杏奈の傍に立って、植え付けの見本を見せてから、水中に手を一緒に入れて、加減を教えてくれた。
 杏奈はおそるおそる作業した。田植えすら、体験した記憶がなかった。
「アーユルヴェーダは、まこも使わないんですか?」
 足を伸ばして、空楽はのんびりと聞いた。川で洗った手を日光にかざし、乾かしている。
「分からないです。私が知らないだけかも」
「日本では神が宿る草といわれて、神事や祭事に使われてきたみたいだけどねえ」
 と、小柳の妻。
「あれあれ、あれに書かれとったんだってよ」
「あれってなにぃ?」
 小柳の適当な発言に、妻は呆れたような相槌を打つ。
「古事記、日本書紀でしょ」
 空楽が誰にともなく言った。
「親父からまた聞きしただけだで、兄貴の頭には残っとれへんわ」
 もう一人の男は、どうやら小柳の弟らしい。
「あれ~?そうだった?」
 小柳はとぼけた顔でうそぶいている。
 まこもは土と水を浄化し、空間を清めるといわれているらしい。
 春に芽を出し、葉や茎は一メートルにも伸びる。穂が出るのは、夏真っ盛りの八月中旬ころ。
 杏奈は体を起こすと、大きく呼吸をした。たった一箱。慣れない体制を取っていたこともあって、たった一箱分植えるだけで、杏奈は体が痛くなった。
「お疲れさまです」
 長靴を脱ぐ杏奈に、空楽はのんびりと声をかけた。脱いでいる時に、杏奈は手を汚してしまった。それまでは手袋をはめていて、汚れなかったのに…元来、不器用なのだ。
「川で手を洗えますよ」
 空楽は小川を指差した。
「あ、いえ…タオル持ってきてるんで」
「どこですか?出しますよ」
「ありがとう…リュックのポケットに」
 自転車のカゴに入っている水筒も、持ってきてもらった。中には水が入っている。杏奈は水筒の水で手を洗い、タオルで手を拭いた。
「野生的なことは、しないか」
 どんな細菌がいるか分からない川で手を洗うようなことは…
 そう言いつつ、空楽は杏奈が自分と同じようにしなくても、全然構わないようだった。
「植え付けって、大変なんですね」
「植え付けの前に、前年の株を掘り起こす作業があるんですけど、それも大変ですよ」
 そんな作業もあるのか。
「手間暇かかってるんですね」
「ええ。でも、用途がたくさんあって、見どころがある植物ですから」
「どんな…?」
「たとえば…」
 空楽は話をしながら、再び田んぼに入る準備をした。
 まこもの葉は、お茶や粉末にされて食用、薬用に用いられる。
「五臓に良くて、ウイルスへの耐性を強くしたり、免疫力を高めたりするそうですよ」
 五臓とは、肺・心臓・肝臓・脾臓・腎臓。他にも、血圧や血糖値の上昇を抑制し、肌を潤し、血流をよくする。
 葉は食用に用いるほか、むしろやしめ縄に利用される。栽培種は、秋頃に茎の中の花芽に黒穂菌が寄生し、根元の部分が筍状に肥大して、マコモダケになる。黒穂菌がついてできた芽は絵の具や眉墨にも利用されてきた。
「そんなにいろいろ、使えるんですか」
 人の暮らしとのつながりが深い植物のようである。
「ええ。葉も、茎も、それから…」
 そこまで言って、空楽は黙った。すたすたと自転車のほうへ行き、すぐに戻って来た。
「これ、手の保湿に使ってください」
 小さなボトルを目の前に掲げられて、杏奈はより目になった。
「保湿剤ですか?」
「オイルです。まこもの新芽から抽出したジュモエッセンスが混ざってます」
「は…?」
 杏奈は、聞き慣れない言葉に目を丸くした。
「デトックス効果も期待されてるみたいですよ」
 空楽は杏奈から目を逸らし、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「普段アーユルヴェーダオイルを扱っている人に渡すのは恥ずかしいけど、そういうの、好きかなと思って…」
 そう言うと、空楽は跳ねるように、田んぼの中へ入っていった。

 昼下がりの田んぼには、心地よい風が吹いていた。植え付けたばかりのまこもの葉が、ゆらゆらと風に揺れている。
 杏奈は作業が終わるのを待っている間、スマホを開き、空楽のインスタを見た。どこかへ遊びに行った時の写真がいくつか投稿されていた。若い子が自分の写真をアップするなら、奇跡の一枚を選びそうなものだ。しかし、写真の中の空楽は、自然体なものばかり。笑ってすらいない写真もある。いきなり写真を撮られて、はにかんでいるという様子でもない。
─気取らない性格なんだな。
 それはどこか、好ましい気がした。
 普段、事業者としてインスタを扱っている杏奈は、こういう何気ない日常を投稿した個人アカウントを眺めるのは、久しぶりだった。時々一緒に映っている男性は、空楽の彼氏だろうか。マルシェでアクセサリーを売っている場面を切り取った写真も見つけた。けれど、販促する内容ではなく、出店したという報告である。被写体も統一しておらず、文章も気が抜けている。
「キラキラした投稿ないっすよ、私の」
 いつの間にか作業を終えて畦道に上がり込んでいた空楽が、杏奈のスマホを覗き込んだ。杏奈は慌てて、スマホをしまった。
「空楽さんは、柳さんのお知り合いだったんですか」
 長靴を脱ぐ空楽に、杏奈は尋ねた。
「うーん、知り合いっていうか…」
 姉の義母・万喜の知り合いということで、繋がった。万喜は、この月で創作和食居酒屋・彩を営む息子夫婦を、時折手伝っている。花祭以降、彩でバイトをする中で、万喜と親しくなった。
 空楽はやはり川で手を洗うと、杏奈の隣に腰掛けた。
「昔っから、老人が好きっていうか」
 祖母に世話されて育ったからかもしれない。
「しめ縄作りに呼んでくれて。そこでまこもを知ったんです。まこもの葉を乾燥させた藁で、アクセサリーも作れそうだし」
「藁で、アクセサリーですか?」
 空楽はすんなり頷いて、試作品の写真を見せてくれた。杏奈は思わずヒュッと息を呑んだ。藁アクセサリーとは、いかに洗練されないものかと思ってしまったが…
「すご…」
 曲線を描いたしずく型のピアス。自然素材ならではの、微妙なグラデーションが美しく、つややかで、埋め込まれたパールや、真鍮の金具とも違和感がない。
「空楽さんは、本当に手先が器用なんですね」
「ちまちました作業が好きなだけです」
 空楽は杏奈からスマホを取り戻した。
「葉っぱを外に出して乾かて、しまって、乾かして、しまって…編んで、結んで、編んで…単純作業しかできないだけです」
「単純作業じゃないですよ」
 ここまで精緻に作れれば、職人技である。
「アクセサリー作家として、売れそうですね」
「あー、職業にするのは、どうでしょう。確かに、いけるときは月五万円くらい稼いでますけど」
─稼いでるのかい。
 杏奈は、喉元まで突っ込みが出かかった。
「でも、仕事じゃないです。気が向いたら作って、手元にあるものを、欲しい人に買ってもらうだけ」
 仕事にするなら、そんな気まぐれにはできない。
「でも、仕事にすると、続かなさそうで。私は何にも続けられない人だから」
 杏奈は顔を横に向けて空楽の横顔を見つめ、瞬きをした。空楽はその視線に気が付き、
「この前のパウダー、もう使いました?」
 話題を逸らした。
「使いました…」
 使ったどころか、今日はそれを生地に混ぜ込んだ、あずきのマフィンを持ってきているのである。
「早く言ってくださいよー」
 空楽は喋り方がまるで棒読みだが、地味に喜んでいる。
「こんな完成度の高い作品見た後、自分の出すのが億劫です…」
「何言ってるんですか。アクセサリーとマフィンじゃカテゴリが違うでしょ」
 早く出してください、とばかりに、空楽は手を広げてみせた。
 杏奈はリュックから大き目のタッパーを取り出した。一つひとつ、アルミホイルに包んだマフィンが入っている。
「お昼先食べてていいー?」
 まだ田んぼの中で作業をしている三人に、空楽は声をかけた。まるで自分の親戚に声をかけるような気楽さである。
「お昼まだだったんですか」
「うん。杏奈さんは?」
「私は食べてきました」
「あかつきに住み込みなんですよね」
 小須賀から聞いたのか。
「はい。今日は午前中コンサルがあって…」
「コンサル?…働きますねぇ」
 空楽ははむっとマフィンにかじりついた。
「抹茶パウダーみたいに使えると言ってたので、和っぽい具材と合わせてみました」
「うまー」
「ちょっとぱさぱさしているし、もっと小豆を入れた方が食感的にも良かったかもしれないです」
 杏奈は次々に言い訳をした。
 もぐもぐとマフィンを食べる空楽を、杏奈は横目で見た。サラサラと風に揺れる髪には、キャップの跡が少しついている。化粧っ気がないが、色が白く、澄んだ目をしていた。
「このオイルは、いくらで売っているんですか?」
 杏奈は、先ほど空楽に渡されたボトルを手に持った。
「あ…それは売り物じゃないっすね」
「そうなんですか。売ってもらおうと思ったのに」
 そう言いながら杏奈は、とんでもない値をつけられたらどうするつもりかと、内心焦った。オイルは少量でも、バカにならない値段がついていることがあるのだ。
「ほしければあげますよ」
 杏奈の心配をよそに、空楽はさりげなく言った。
「自己流でエッセンスを抽出して、ホホバオイルに混ぜたものなので、安全性とか、保湿力は約束できませんけど」
「いいんですか」
 杏奈はにっこり笑った。
「今度、またあかつきに来てください。…お礼に何か食べてもらわないと」
 空楽は返事をしなかった。代わりに、田んぼから上がった三人にも差し入れをすすめた。
「なになに、まこもパウダー使ったお菓子?」
 小柳は、大仰に驚いてみせた。
「それは愛がこもった、まぁ~こもったお菓子だこと!まこもだけに!」
 サーッと、妻と弟から血の気が引き、杏奈は俯いて笑いをこらえた。空楽だけが表情を変えないで、もごもごと口を動かしていた。
「小柳さん、あれでも警察官」
「そ、そうなんですか…」
 杏奈は体操座りをして、膝に顔を埋めた。
 足込町がいかに平和であるか、小柳が物語っている気がした。

「ジュモエッセンスですか」
 翌月曜日。
 二階の施術室で、沙羅は発汗のためにヒートマットに包まれている。杏奈のアビヤンガの自己練習に付き合っていたのだ。
「聞いたことはあります」
 杏奈は昨日空楽から貰いうけたオイルを、手に持って見せた。
「まこもエキスをミックスしたオイルなんて、珍しいですね」
 沙羅はまこものことも、なんとなく知っていた。
「空楽さんは、どうやってこのオイルを作ったんでしょう」
「さぁ…有効成分を何らかの方法で抽出して、オイルと混ぜたんでしょうけど」
 沙羅にも皆目、分からなかった。
「アーユルヴェーダのオイルを自家製で作っているサロンって、あるんでしょうか」
「あるとは思いますけど…」
 沙羅は首を傾げた。薬草とオイルの配合などは、アーユルヴェーダの古典に記載があり、材料さえあれば作れないことはないが、非常に時間がかかる。正直、ノウハウを持っているとしても、コスパが合わないように思えてならない。何よりも、品質が問題だ。
「あかつきで使っている輸入オイルもそうですけど、いろいろな種類の薬草が、たくさん使われてますからね。自分でそれに匹敵するオイルを作るのは難しいと思いますよ」
「そうですか…」
 杏奈は残念そうに、ボトルを見つめた。
 あかつきでは、部位や目的により、何種類ものオイルを使い分けている。体質別─三つのドーシャ─に応じて、ほんの数種のオイルだけを使い分けるサロンも中にはあるが、バリエーション豊かなオイルを使い分けるのが、あかつきの特徴。
 これらのオイルのベースとなるのは基本的に、セサミオイルである。少数ではあるが、ココナッツオイルがベースのものや、ひまし油が入っているものもある。温める性質があり、浸透性が高く、多くの日本人に適している。一方、体が熱を持ってる人、敏感肌、炎症がある人には、ココナッツオイルがベースのオイルも良い。
 さらに使われている薬草に応じて部位ごとに使い分ける。冷ます性質をもった、髪に潤いを与えるオイル、胸周りには、バストにハリを与えるオイル。関節部分には、ヴァータを鎮静し、痛みを軽減するオイル…
「まこもオイルを、施術に使いたいんですか?」
 沙羅の問いに、杏奈は正直に頷いた。
「もしかしたら経費を削減できるかと…」
 と、口に出してみたものの…
 植え付け作業だけでも、時間と人手を取るまこも。そのまこもの新芽を採り、手作業でエッセンスを抽出して作ったオイルが、安く出来上がるはずはない。
「あのう、オイルの値段交渉は、どうですか?」
 沙羅は顔を天井に向けて、ほうと息を吐いた。スリランカから輸入している施術用オイルの値段が高騰し、沙羅が値下げ交渉を行っている。
「少しは譲歩してくれそうです。でも、今のままでは元の水準には戻りませんね」
 しかし、沙羅曰く、単価を下げる方法はあるらしい。
「注文ロットを増やすことです」
─まとめ買い、か。
 至って普通のことだ。たくさん買えば、その分安くしてくれる。
「オイルは新鮮な方が良いのでしょうか?」
 回転率が上がらなければ、オイルは長い間使われずに保存されることになる。
「古いオイルでも使えると聞いたことはあります」
 そもそも、古代の賢者たちが薬草オイルを開発したのは、オイルにすることで薬草の薬効を長期間保存ができることに気が付いたからだ。経験則で。
「でも実際はどうなんでしょう…しっかりした充填方法が取られていれば、開封しない限り、酸化は防げるように思うのですが…」
─安全性とか、保湿力とかは、保証できませんけど。
 杏奈は、空楽の言葉を思い出した。品質が保証できないならば、長い間保管はできない。アーユルヴェーダサロン向けに、物販をする…という手もあるが、その場合は個人の責任のもと購入することに了解してもらうなど、いろいろ説明が必要となりそうだ。
「美津子さんはどうやって、あかつきで使うオイルを決めたのでしょう」
 実際に使ってみて、効果を見て…地道に決めたのだろうか。
「そうですね…試してみないと、分からないですものね」
 沙羅は杏奈が持つボトルに視線を向けた。
「そのオイルも、試してみますか?」
「…これですか?」
 沙羅はもぞもぞと動いた。杏奈は沙羅がヒートマットから出るのを手伝った。
「まこもは、神が宿る草なんて異名があるんですよね。地場のオイルを使ってるっていうと、聞こえもいいし…」
 沙羅はスリッパを履き、杏奈に先導されて、シャワールームへ向かった。
「商用に使えるかは別として、品質をテストしておくのはいいと思います」
 それだけ言うと、沙羅は先にシャワーを浴びた。
 着替えと片付けが終わると、二人はベッドの傍に二人並んで、問題のオイルを眺めた。
「私の肌に塗りましょう」
 沙羅は、自らそう言った。
「私の肌は、屈強ですから。杏奈ちゃんは、お肌が繊細だし」
「いえ、沙羅さんには今別のオイルを塗ったばかりですし…私が言い出したことなので」
 それに、敏感肌のクライアントにも使えるかどうか判断するには、杏奈が試したほうが良い。
 問題は、どこに塗るかだ。普通、パッチテストは皮膚の柔らかい所に塗布するが、それでいいだろうか。
 昨日、すでに杏奈は、このオイルを手の保湿に使っている。しかし、現時点で赤らんだり痒みが出たりはしなかった。
─でも…
 美津子がせっかく綺麗にしてくれた肌。小須賀が洗い物を買って出てくれたおかげで、洗剤への暴露を回避してきた肌。食べ物を改め、檜風呂で温泉につかり、アビヤンガを受けて、やっと施術の練習ができるようになるまでに回復した。それらの努力や人の好意を、無下にはできない。それを思えば、昨日初めて使うオイルを手指に塗ったのは、浅はかだったかもしれない。
「美津子さんに相談しましょう」
 杏奈は最終的にそう言った。
「そうですね」
 沙羅も、それがいいというように頷いた。品質を知るために塗布するのと単純なパッチテストとは、意味合いが違う。まこもの成分から、このオイルにどんな適応が期待できるか予想を立て、どこに塗り、どう結果を追うか、きちんと決めた上でテストすべきだ。それが、このオイルを作った空楽に対する、誠意のように思えた。

 

 

 


 

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