第64話「鯉のぼり」アーユルヴェーダ小説HEALERS

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「おーい、羽沼ぁ」
 呆れたような安藤の声がし、羽沼はスマホから顔を上げた。目の前の状況を見て少し考え、鞍馬の捨て牌を拾う。
「ロン」
「え?」
 安藤、前原、鞍馬の三人は、羽沼の手牌を覗き込んで、がくっと項垂れたり、テーブルに寄りかかったり、とにかくがっかりした。
 羽沼は時々スマホを見ては、クライアント対応をしているというのに、さっきから、羽沼ばかりに得点が入る。
「次の局いくか」
「勝てる気がしない…」
 粟代、御殿山の麓にある、羽沼の丸太小屋。
 夜遅いというのに、四人は家の外に設えられたアウトドアスペースで、ランタンの灯りの下、麻雀をしている。
 安藤は、羽沼宅のこのスペースがひどくお気に入りだ。休みともなると、用事もないのにここへやって来て、手作り感あふれるこのウッドテーブルの上で仕事をすることもある。
 今日は鞍馬が小須賀を誘い、小須賀が誘いを断って羽沼に振り、羽沼が安藤を、安藤が前原を誘って、結果的に奇妙な面子が揃った。
「明日からゴールデンウィークだっていうのに、割とみなさん暇なんですね」
 安藤と前原は、率直な鞍馬の言葉にちょっとムッとした。一回りほども年下のこの男は、遠慮がないというか、物怖じしないというか、とにかく、少し生意気なところがある。
「ゴールデンウィークに遠出する教員なんていないよ」
 安藤は牌をかき混ぜながら捨て鉢に言った。ゴールデンウィークは、どこも混み合う。それよりも、授業がなく休みやすい夏休みに遠出する方が賢い。
「おれも、普通に仕事だよ」
 ため息とともにそう言って、前原も牌をかき混ぜる。
「足込町の消防士って、働いてるんですか?」
 鞍馬は片足だけベンチにのせるという姿勢で、牌を混ぜていた。あかつきのクライアントに、足を組むなと言ったヨガインストラクターとは思えない姿勢だった。
「なんにも起きなさそうじゃないですか。でもまあ、毎日麻雀してるってわけでもなさそうですね」
 前原には全然点数が入っていない。鞍馬の皮肉だった。
─お前も勝ててねえじゃねえか。
 初対面の若造にこんなことを言われて、前原はちょっと頭にきている。
「これでもいろいろあるんだよ」
 野焼きの火が移ったとか、けが人の搬送とか…足込町は一人暮らしの老人も多いため、連絡がつかない、孤独死していないか見てほしい…という手の連絡も多々ある。
「感染症の時よりは、確かに落ち着いてるけど」
「お前、あの時家に入れてもらえなかったって言ってたもんな」
 安藤はもはや遠い昔のことのように笑ったが、前原としては、冗談ではなかった。
 足込町は、人口の割には感染者が多く、前原は感染者の搬送に当たっていた。姉・祥子は実家である前原家と同じ敷地内に家を建てており、同居に等しいほど接触があった。あの頃、甥の朝日が生まれたばかりで、大地もまだ幼かったため、感染予防のため、前原のほうが隔離されたのである。
「鞍馬こそ、こんなところで油売ってていいのか?」
 スマホを操作しながら、羽沼が言った。
─いや、油売るもなにも、こいつが誘ってきたんだから。
 安藤と前原は、同じセリフが頭の片隅に浮かんだ。
「実家、旅館なんだろう」
「まあ、ゴールデンウィークもあかつきにお邪魔できるほどには、余裕ですよ」
 鞍馬はふふんと鼻を鳴らした。
 美津子から連絡があり、鞍馬はあかつきと業務委託契約を結んで、ヨガの指導を行うこととなった。
─ま、採用されて当然だけど。
 鞍馬は心の中でそう思うと、自然と顎が少し上がった。
「ところで、さっきから羽沼さんは何してるんです?」
 次局の親となる鞍馬は、サイコロを振りながら訊いた。羽沼はふっと笑って、
「何してるもなにも、君の勤務先の人の相談に答えてるんじゃないか」
 忙しくしているのは鞍馬のせいだとばかりに言った。
「君があかつきに雇われることになったから、向こうの人はアピールするための発信を練っていて、僕もアドバイスするのが大変なんだよ」
「そうなんですか。ま、うまく頼みますよ」
 プロデュースされる側は、呑気なものだ。
 
 羽沼は三人が帰った後、誰もいなくなった屋外のベンチに座り、ココアを飲んだ。
 あかつきの他に、地元の工務店からWebデザインの仕事を取った。足込町へ移住してきた時、端材などを都合してくれた工務店だ。モニター価格で受注したが、高品質なホームページに仕上げなければならない。 
 風が吹き、山の木々の枝や葉がざわざわと音を立てた。新緑の、濃い草木のにおいがする。
 アウトドアが好きな羽沼は、自然が豊かという理由で、移住先に足込町を選んだ。生活しにくければまた引っ越しするくらいのつもりで、この丸太小屋を買い取ったが、味があって、結構気に入っている。ここに集まる仲間もできた。そして、自分を頼ってくれる人たちもいる。
 足込町は愛知県の片隅の、里山に囲まれた小さな町。
 今まではこの町の自然を題材に、この町の良さを動画にして発信していたが、次は、この町で仕事を興している人たちのサポートをしたいと思っている。高齢化が進むこの地域では、ウェブ周りのことに疎い経営者が多い。扱っているサービスや物、技術が優れているのに、発信力がないために事業が廃れて、町としても活気がなくなっていくのは、もったいない。
 羽沼はもう一度スマホを開いて、杏奈が作ったあかつきのヨガに関する非公開ページをチェックする。
─悪くはない、か。
 杏奈はもともと、デザインがうまく、ホームページやSNSでの情報発信力に優れている。しかし、あくまでアマチュアにしては、というレベルで、プロではなかった。
 今度は羽沼は、あかつきのインスタを見る。主に料理と情報発信担当だった杏奈だが、最近、施術を学び始めたと聞いている。だからか、アーユルヴェーダの施術に関する投稿が多くなっていた。
 毎日の投稿で、いわゆるお役立ち発信をし、関心のある人々をクローズドメディア(今は主にライン)に集めて、サービスを売る。
 あかつきが今狙っているターゲットは、日帰りで施術を受けに来る地元の女性客。街中のサロンであれば、これは通常受け入れている客のパターンであり、珍しくもなんともない。
 しかし、これまで長期滞在する遠方からのクライアントを受け入れていたあかつきにとっては、この手の客を呼び込もうとするのは、珍しい試みだった。
─セラピストの数が足りていなければ…
 単発の客が増えても、対応できないはずだが。研修中という杏奈も、すぐに実戦力とならなければならない。
─むしろ、それがねらいなのか。
 あかつきのオーナーである美津子は、セラピストたちに、経験を積ませようとしているのかもしれない。
─背水の陣だな。
 そうすると、杏奈は何がなんでも、施術を早期に習得せざるを得ない。
 あかつきは、クライアントに癒しの時間と場所を提供する癒しの館。そのゆったりとしたイメージとは裏腹に、そこで働いているのは、背水の陣を敷いて自分を奮い立たせるような仕事人たちである。
 羽沼はスマホを見ながら、口元に笑みを浮かべた。

「なんだよこの七面倒くさいラインナップは」
 サロンを身に着けて早々、小須賀は悪態吐いた。
 四月二十九日、土曜。今日からゴールデンウィーク初日を迎える者も多い。が、あかつきは休みではなかった。
 今日は足込温泉へ弁当を納品する日。それも、いつもより多いニ十個を納めることになっている。杏奈の考えた弁当案を、実際に作るのは小須賀だった。それと…
「生春巻きなら冷めても大丈夫ですし、生春巻きから作ったらいいんじゃないですかー?」
 空楽も参戦している。杏奈のスケッチを見て、空楽は内心わくわくしていた。
「じゃ、茹で卵作ってくんない?」
「はい~」
 空楽は五分袖の白いティーシャツに、木綿の生成りのズボン、黒いエプロンを身に着けている。
「お~、茹で卵が、鯉のぼりの目になるんだぁ」
「勘弁してくれよ。こんなキャラ弁みたいなやつ」
「でもぉ、端午の節句が近いから、喜ぶ人も多いんじゃないですか?」
「足込温泉に来てる客なんてじいさんばあさんばっかりだろ…」
 杏奈の考えた弁当は、確かに遊び心満載だし、春の食材に溢れていて、スパイスのひねりも加えられているのだが、
「手が込み過ぎてるよ、こんなの…」
 鯉のぼりの生春巻き、筍ごはんのおにぎり、紫蘇とスマックを加えた卵巻きごはん、ゴツコラを混ぜ込んだフィッシュボール…
「こんなのどうやって思いつくんですかぁ」
「知らないよ」
 でもこうして、空楽とあーだこーだ言いながら料理をするのが、小須賀には最高に楽しい。一人だったら歌でも歌わないと退屈だが、空楽が一緒なら、脊髄反射的に会話ができた。
 空楽は、しかも、料理上手だった。生春巻きの具材を次々に切り、バッドに並べていく。茹で卵、アボカド、クリームチーズ、茹で鶏、春キャベツ、きゅうり…
「キャラ弁づくりの道具、ないんですか?」
「ないよ」
 小須賀は空楽の手元を覗いた。
「何したいの?」
「鯉のぼりの目、海苔で作るみたいなんですけど…」
 丸くくり抜く何かがほしい。
「残念だけど、ハサミ使って」
「ええ~」
「それと、湿気るから、巻く直前でいいよ」
 生春巻きの中に巻き込めば、どうせ湿気るのだが、湿気った海苔は扱いにくい。
 小須賀はごはんを炊飯器にセットした。今日はなんと、業務用の炊飯器を二回転させなければならない。
 小さなボウルに、赤紫蘇のふりかけと、スマックというスパイスを混ぜる。ふりかけの量を抑えると塩分は控えられるが、色が出ない。そこで、紫蘇と似たような風味と酸味をもつが、塩味のないスマックをブレンドするのだ。
「スマックってなんすか?」
「知らない」
「え~、小須賀さぁん」
「はい、黙って作業してくださーい」
 茹で鶏を作った時に出た出汁は、筍ごはんを炊くのに使う。筍ごはんには他に、干し椎茸、少量の茹で鶏を入れる。
「春の食材って、アク抜きが大変なの多いんだよなぁ」
「この筍は、いつ仕込んだんですか?」
「昨日杏奈が」
「小須賀さん、鯉のぼりの生春巻きはどうやって巻くんですか?」
 空楽は自分のタイミングで、ころころと話を変える。小須賀はメニュー表を見た。具材を交互におくと指示があるが、これだけの説明ではお手上げである。
「あいつ呼んでくるわ」

「六月の空きが多いので、少し煽らないといけないですね」
 杏奈は美津子と同じパソコンの画面を覗いていた。
「何を口実に?」
 五月ならゴールデンウィークや母の日、七月なら夏休み、とかこつけてキャンペーンも打てるけれども、六月は大きなイベントがない。
「もうすぐ、インスタのフォロワー数が七千人になるので、七千人突破記念、っていうのはどうでしょう」
 セールやキャンペーンを打つのに、理由はなんでも良いと羽沼が言っていた。記念に割引をするが、割引の適用にはラインからのお申込みが必要。そのようにうたって、リスト(顧客)を増やすのだ。
 ラインを作っても、活用するのは先の話…と、美津子が言っていたにも関わらず、今やラインは強力な集客ツールとなっていた。登録者数は、まだ二百五十人程度。しかし、羽沼が言うには、一か月あたり三十人の新規登録があれば良いペースとのこと。あかつきの公式ラインには、それを超えるペースで登録者数が増えている。
「七、八月も、何か案が必要ですね」
 鞍馬を業務委託契約で雇うことにしたが、通常の宿泊代にヨガレッスンは含まれているので、あかつきとしては、支出が多くなる。美津子は積極的に沙羅の仕事の機会を増やしているので、沙羅への給与賃金も増えている。さらに、オイルの値上がり。今までと同じようにやっていたのでは、あかつきは経営破綻する。それでなくとも、今までだって、美津子が育児関連の原稿料を、あかつきの経営資金に補填していたのだから。
「何か良案ある?」
 杏奈は口に手を当てて考えた。小須賀の目には、美津子がわざと、杏奈に考えさせているように見えた。
「あのう…」
 小須賀は、テーブル横に立って声をかける。
「お取込み中悪いんすけど、鯉のぼり見てもらえますか?」

「海苔を置いて、茹で卵の目、具材を交互に置いて、春キャベツで量増しして、包みます…」
 杏奈は鯉のぼり生春巻きを実演した。この日のために、試作済であった。
「わー、かわいい」
 空楽はできあがった鯉のぼりを見て顔を綻ばせた。小須賀は対照的に、渋い顔をする。
「そんな手間のかかるやつ…!」
「えー、かわいいじゃないですかぁ」
 杏奈は苦笑いして、頬を掻いた。
 鯉のぼりを作る作業は、空楽と杏奈でこつこつと進める。空楽は、明らかにこの作業が好きなようだ。途中から要領を得て、杏奈よりも速いペースで巻き上げていく。
「鯉のぼり、たくさんできましたねぇ」
「ええ。失敗することもあるかなと思って、具材多めに見積もっておいたんです」
 小須賀は紫蘇ご飯の入ったボウルにかぶせていた濡れ布巾を取りつつ、バッドに並べられた鯉のぼりを見た。
─余りそうだな。
 これを見て、空楽と同じように喜んでくれそうな人の顔が浮かんだ。
「あ、これから卵巻くところですか」
 小須賀が卵焼き器を出しているのを見て、杏奈が訊いた。
「あのね、これもリスキーすぎるよ」
 小須賀はもれなく苦情を言った。杏奈は試作しているからいいかもしれないが、自分はぶっつけ本番なのだ。
「おれ、炊き込みご飯作るから巻いといてよ」
「よく言いますよ…昔私が作った卵焼き見て、お嫁にいけないって言ってたじゃないですか」
「はい、通りまーす」
 杏奈は小さくため息をついた。けれど、案だけ練っておいて、作るのは現場任せにするのは無責任というものであろう。杏奈は小須賀に頼まれた通り、調理を行った。注ぎ口と取っ手のついたボウルに卵を割り入れ、塩とみりんを加え、少し甘い卵液を作る。卵焼き器に卵液を敷いて、色付けしたご飯をのせ、つつむ。ご飯を包んだ卵焼きを、キッチンペーパーの上に置いて、硬めに包み、形を固定する。
 横で空楽が、杏奈の作業をじいっと見守っていた。
「冷めたら、お弁当箱の高さに合わせて切ります」
 そうすると、薄く卵が巻かれた、鮮やかな色のおにぎりが出来上がる。上には茹でて小さく切ったスナップエンドウと、いりごまを飾る。
「うわ~」
 空楽は出来上がったものにいちいち感動した。
「筍ごはんは、卵巻きごはんと同じ大きさに結んでください」
「結ぶ系やめよう…?」
 小須賀は項垂れた。よりによって、納品数が多い時に、こんな手の込んだご飯にしなくていいのに。
「フィッシュボールの仕込みはこれからですか?」
「はい」
 杏奈に訊かれて、空楽は頷いた。
「フィッシュボールも、ご飯の大きさに合わせて成型しますか?」
「いえ、ごはんより小さくしてください」
 杏奈はいちいち、指定がうるさい。
「中にスパイス入れるんですか?」
「はい。でも、今日は小さなお子様の口に入るかもしれないので、ほんの少しです」
 杏奈がいると、空楽の相手は杏奈に持っていかれた。小須賀はそれに、やきもちにも似た感情を覚える。
「ちょっとさぁ」
 それで小須賀は、杏奈に声をかけた。
「ちょっとあっち行っててくんない?」
─自分が呼んだんじゃん!

 沙羅は子供たちを、近所の小さな公園に連れてきていた。
 お昼ごはんは何にするかと考えあぐねていたところに、先ほど小須賀から連絡があった。
─お昼ごはん持っていきますよ。弁当の残りですけど。
 子供二人の相手をしながら料理をするのは大変なので、沙羅は小須賀の厚意をありがたく受け取ることにした。
 沙羅は、娘たちに作る料理を考えるよりも、違うことに意識が持っていかれていた。
─ヨガサロンを開いたら、どういうレッスンをしていくか…。
 鞍馬のヨガレッスンを見る中で、再び掻きたてられた、ヨガインストラクターとして活動したいという気持ち。今の自分には、それを実現させるための時間ができた。
 杏奈曰く、SNSが普及した現在では、ホームページの存在は必須ではないそうだ。今持っているアカウントを、ビジネス用に運用すれば、すぐにでも個人開催の予定は立てられる。だが発信しても生徒がやってくるかというと…
─私も羽沼さんからSNSの運用を学ぼうかなぁ。
 杏奈に聞くのが一番早いが、杏奈は施術の練習もあり、テキストの編纂とやらにも忙しく、時間を取るのははばかられる。
─アスティヤ。
 盗まない、というヨガの教え。時間は有限である。もし有限な時間をもらうのであれば、対価が必要だ。対価としてお金を払って、羽沼に聞くのが一番良いように思えた。
「ママぁ~」
 心ここにあらずに母親の手を、快が揺さぶった。
「あれまわしてよ~」
 快はグローブジャングル(ジャングルジムを地球儀のような形にして、グルグル回る遊具)で遊びたがっていた。
「分かった分かった。あれで遊ぼうか」
 沙羅はスプリング遊具(動物や乗り物の形をした、土台がバネの、乗ってゆらゆら遊ぶ遊具)の上にぬいぐるみをのせている七瀬を抱っこし、グローブジャングルにのせた。快も中に入る。
「行くよ~!」
 沙羅はぐるぐると遊具を回した。大人にとってはただ疲れるだけの遊具だが、子供たちは楽しそうである。
 沙羅たち母娘が家に帰ってほどなく、ちょうどお昼ごはん時に小須賀が現れた。
「これ、お弁当」
「ありがとうございます~!」
 沙羅はぱああっと笑顔になった。
「中、見てください」
「え?あ、ちょっと…小須賀さん、中入ります?」
 受け取った弁当で両手が塞がっていて、弁当の中を見ようにも、見られない。
「いや…」
 小須賀は、沙羅の家の中には入ろうとしなかった。
「あとで見て下さい」
 娘たちがいるとはいえ、夫が不在の時に、家に入るべきではない。
「今日の弁当はいつにも増して疲れましたよ」
「お疲れさまでした」
「弁当作り、杏奈に引き継ぐ予定だったのに、ちっとも引き継げてませんよ」
「ふふ…」
 沙羅は笑ったが、何も言わなかった。引き継がせないのは美津子だということを、小須賀もいい加減、分かっているのではないだろうか。
「今日も空楽が手伝ってくれて」
「あら、来たんですか。いいなぁ~、三人でお弁当作り、楽しそう…!」
「杏奈は途中から追い出しましたけどね」
「そんな。杏奈ちゃんをぞんざいに扱ったらだめですよ」
「ぞんざいになんて扱ってませんよ…むしろ思いやりです」
 小須賀は心外だ、という顔をした。
「事業計画練るのに忙しそうだったし」
「…はぁ」
「人件費もオイル代もかさんでますからね。六月どう集客していくか、美津子さんと話し合ってて…」
 そこまで言って、小須賀は黙った。余計なことを言ったかもしれない。
「じゃ、おれ戻ります」
「ありがとうございました…!」
 沙羅は弁当を持ったまま、もう一度小須賀に礼を言った。
 娘たちはおもちゃで遊んでいて、お弁当持ってきてくれたよと言っても、特段興味を示さない。沙羅はテーブルに弁当を置き、中を見た。
「うわ~」
「なになに?」
 娘たちの気を引き付けるため、オーバーリアクションするつもりであったが、中を見て、本当に沙羅は驚いた。
─綺麗なお弁当…!
 薄焼き卵に包まれた紫色のおにぎり、俵型の筍ごはん、春らしい彩り鮮やかな野菜、唐揚げのような何か、そして…
「わ~、こいのぼり!」
 快はかわいいお弁当を見て歓声を上げた。姉が興味をもったものには、妹も興味をもつ。
「なになに~?」
 七瀬もどたどたと走り寄って、椅子によじ登った。
─クリエイティブな仕事だな…
 沙羅は、これを考えたのであろう杏奈に感心すると共に、一抹の寂しさを抱いた。
─事業計画を練るのに忙しそうだったし。
 つまり、杏奈は美津子とともに、早くも経営側の視点に立っているということだ。
─まだ一年も経っていないのに…
 杏奈があかつきで働き始めたのは、昨年の六月頃と聞いている。昔あかつきに出入りしていたセラピストで、事業計画にまで携わった者が何人いただろうか。
─信頼されてるんだな…
 沙羅は、そう感じている。沙羅だって、この妹弟子は信頼できると、一緒に働き始めてすぐに感じた。杏奈はセラピストの教育を受けるのが遅れたし、現場で経験を積んだ料理人というわけでもない。仕事上のスキルという点ではまだまだ未熟。
 けれど素直だった。そのために吸収が早い。地味で細かい仕事でも、頼まれたことを地道に、こつこつと遂行するし、そのクオリティはいつも期待値以上だった。何よりもあかつきの理念に強く賛同していて、認知度を上げるための取り組みに一生懸命である。沙羅が経営者でも、そういう社員は好ましく思っただろう。
 美津子が積極的に杏奈に新しい仕事を任せようとする気持ちは分かる。沙羅の仕事も徐々に増えてはいるが、プレイヤーの部分が主で、あかつきの仕事の中核となる部分は専ら杏奈に引き継がれているようだ。
─おれはミツさんの後に司令塔になる人が必要なら、沙羅さんになってもらいたいと思いますけどね。
 小須賀は以前、そんなことを言っていた。
─変なの。
 自分でも事業を立ち上げたいと夢見ながら、あかつきで重宝されたいと望む自分がいる。現実は、どちらも中途半端なのに。
 妹弟子に嫉妬していないと言えば、嘘になる。杏奈と自分の違いは、自由に使える時間があるかどうかだと思ってしまう自分も、嫌だった。子がいるという幸せの上に立っていながら、子を言い訳にしている自分が、小さく思える。
 しかし、実際には考えてしまう。もし一年前─杏奈があかつきに着た頃─に、自由に仕事できる時間があったら、どうだったのだろう。
「ママ、たべてもいーい?」
 快の声にはっとして、沙羅は声のした方に焦点を合わせる。快は、鯉のぼりに手を伸ばしていた。
「…いいよ。食べよう!」
 沙羅はもやもやを払拭するように、笑顔を作った。
 お弁当の中に納まっている、どこか間の抜けた表情の鯉のぼり。改めてそれを見たら、自然と頬が崩れた。
─嫉妬するのは間違いだ。
 この妹弟子は今、誰よりも努力しているのだから。
 沙羅に刺激を与えたのは、鞍馬だけではない。杏奈の熱意にもまた、刺激をもらっている。鼓舞される。
 沙羅は深呼吸し、自分の中の羨ましいと思う気持ち、焦る気持ちから、後輩たちへの感謝へと、意識の矛先を変えた。

 

 


 

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