施術室のセッティングを終え、キッチンに戻ると、杏奈は目を瞬かせた。小須賀がシンクの前でスマホを触り、空楽がさやえんどうの筋を取りながら、何やら会話をしている。
「空楽さん…」
「あ、杏奈さん」
空楽はのんびりと挨拶をして、ぺこりと会釈した。いつの間にやって来たのだろう。
杏奈は紺色のエプロンを身に付けながら、クロックスを履いて、キッチンの中へ入る。
「どうして…」
「小須賀さんが、弁当作り見に来ていいよ~って言うから」
足込温泉へ、土曜日に隔週で納品をしているお弁当。先日、空楽が施術を受けに来た日も、偶然だがお弁当の納品日だった。あの日、小須賀は空楽を送って帰った。その間にラインでも交換したのだろうか。
「あ、これこれ」
小須賀は杏奈が戸惑っているのは無視して、スマホを空楽に見せた。
「このフレームはちょっと出てこないよな。やつは天才だよ」
空楽に会話の続きを促すように、小須賀が独りごちた。好きな歌について話していたらしい。
杏奈はキッチンを見渡し、自分がするべきことを探した。
「小須賀さん、お米浸水しておきますよ」
「あ、うん」
小須賀は上の空で返事をした。
「彼女の不倫を見つけたってことですよね」
ただならぬ発言に、杏奈は空楽を振り返った。が、空楽が話しているのは、歌詞のことだった。
「そう。見つけちゃった彼のみずぼらしい描写がうまいよね」
「歌詞が聞き取りづらいんだよな~」
杏奈には二人が何の曲について話しているのか分からない。黙々と、ざるにお米を入れ、奥のシンクに持っていって洗った。
「杏奈さんの好きな歌手は?」
空楽は杏奈を会話に巻き込もうとした。杏奈はちょっと考えた。新しいアーティストや音楽を探すのには熱意がなく、即答できなかった。
「ほっときなって」
考える間に適当な会話を入れるでもなく、鈍い反応を示す杏奈を見かねて、小須賀が口を挟んだ。
「杏奈は遊びがないから、分からないんだよ」
「遊びがないんですか?」
きょとんとした目で自分を見つめる空楽を見て、杏奈はうっ、と言葉に詰まった。確かに遊び心は少ないが、それを真顔で訊かれるとは。
「空楽さん、お弁当作り手伝ってくれてるんですか?」
杏奈は空楽の問いには答えずに、逆に尋ねた。
「あー、見るだけもあれなんで」
「あれだけど、さすがに手伝ってもらうのは…」
杏奈は気づかわしげに、小須賀を見た。小須賀は無言で、大量の豆を洗っていた。小須賀としても、空楽をタダ働きさせることはちょっと気にかかっているのだろう。
「暇だからやらせてもらってるんです。こういうちまちました仕事が好きで。気にしないでください」
空楽は悠長に言いながらも、ちゃんと杏奈が気にしていることを察しているようだ。
弁当作りの間、小須賀と空楽は途切れることなく会話をしている。
空楽は、きゃぴきゃぴとした感じはない。しかし、淡々としながらも、適度に突っ込み、適度に突っ込まれる。媚びる様子はないが、舌っ足らずな喋り方は、確実に小須賀を愉快にさせている。
─かえって、やりやすいな。
杏奈は黙々と作業を進めていた。
仕事をしながらだと、やるべきことに気がもっていかれて、軽い会話ができない。空楽は、そんな杏奈とは対照的に、会話をしていても、手はよく動いたし、気を回せていた。小須賀のとりとめのない会話の相槌をしなくてもよくなるという点で、空楽の存在はありがたかった。
「杏奈さんの料理おいしそうですね」
お弁当を車に積み込み、キッチンに戻ってくると、空楽からさりげなく褒められた。
散らかっているキッチン。壁に身体を預けて、空楽はマイペースにスマホをタップしている。
「何見てるんですか?」
少し躊躇したが、杏奈は空楽のスマホの画面を覗き込んだ。空楽は別に、画面を隠そうとはしない。あかつきではなく、杏奈個人のインスタアカウントを見ているようだ。個人アカウントのほうには、あかつきの投稿に使わなかった、日々の料理の写真をメインに上げている。
「な、なけなしのネタなので。あまり見ないでください」
「これ、ブリ大根ですか?うまそう」
杏奈は頬がやや上気するのが分かった。
「個人アカウントのほうは、料理レシピを自分用にメモするくらいのつもりで上げてます」
杏奈は弁解するように言った。
「空楽さんのアカウントも教えてくださいよ」
自分のだけ見られるのは、不公平な気がした。
「私のは見てもつまんないですよ」
空楽はスマホから視線をそらさず答えた。
「DM入れとくんで、後で見といてください」
「あ、ありがとうございます」
空楽はあけすけな性格らしい。
杏奈は空楽を放っておいて、こつこつと片付けを始めた。今日の弁当配達は小須賀が行っている。その間、杏奈は片付けをする。今日は午後から用事が入っているので、急いで済ませなければならなかった。
鍋の中を覗く。料理はどれも多めに作っていて、スタッフの賄いに当てるつもりだ。今日は羽沼と会うことになっているので、彼の分も取っておかなければならない。
杏奈は、ちらっと空楽を見た。まだスマホを触っている。
─さすがにタダ働きじゃ悪いし、賄いくらい食べてもらったほうがいいよね…。
空楽はそんなことを当てにしてはいないだろうが、結局、二時間もまともに手伝ってくれた。おかげでいつもより早く仕上がったのである。
「杏奈さんって、お菓子作りよくするんですね」
空楽は顔を上げて、スマホをしまった。
杏奈は、七大アレルゲン不使用のお菓子の試作をしては、個人アカウントの方に写真を載せていた。それで、空楽はそう思ったのだろう。
「グルテンフリーやってるんですか?」
「まあ…今後、そういうのが必要になることもあるかと思いまして」
「私、何すればいいですか?」
急に話が変わり、空楽は指示を仰いだ。片付けまで手伝ってくれるらしい。
「えと…片付けまでは…」
「いいんですよ。私ニートですから」
空楽は臆面もなく言った。時々バイトをしたり、ハンドメイド作家として活動したりしているのだから、ニートではなかろうに。
空楽は今日も、飾り気のない恰好をしていた。だぼっとした白いティーシャツに、チノパン。金色のメッシュの入った黒髪を、後ろで無造作に束ねている。でも、素地は良い。化粧っ気はないが、色白で、目鼻立ちが整っている。
杏奈に指示された通り、空楽は調理台の上のゴミや調理道具をぱっぱっと片付けて、食材や調味料を元あった場所に戻す。手際がいいし、丁寧だ。そういえば、姉夫婦が経営する飲食店で時々手伝いをしていると言っていた。
「お姉さんは、どんなお店をされてるんです?」
「創作和食居酒屋っす」
「へぇ…」
杏奈は余った料理を器やタッパーに移す。再加熱が必要か、必要でないかによって保存容器が異なるので、無意識にできない仕事だった。創作和食というもののイメージもわかず、会話が途絶える。
「…」
小須賀と違って、杏奈が沈黙しがちなことを、しかし、空楽はまったく気にしていない。マイペースに、こつこつと、確実に、片付けを進める。
「そうだ」
そんな空楽の手が急に止まった。
「杏奈さん、まこもパウダー使います?」
「何ですって?」
杏奈は目を大きく開けた。自分は一般的な日本人よりも、変わった、謎の食材を使いこなしているという自負があるが、聞いたことのない食材だった。
「まこもの若葉だけを採って、粉末にしたものです。ほぼ抹茶パウダーみたいに使えます。こないだ焼いてたパウンドケーキに入れても良いですよ」
デーツパンのことか。
「まこもって、何ですか?」
「杏奈さん、まこも知らないんですか?」
空楽は非難するというより、本当に知らないのかと驚いたような顔をした。
「知らないです」
「まこもは、湿地で育つ稲みたいな植物ですよ」
「食べ物ですか?」
「いろんな使い方があります。葉を織れば敷物ができるし、菰角という芽や、マコモタケという肥大した茎は食べられます」
「マコモタケ…」
「筍とは違いますよ。中はがらんどうというか、軟らかくって、シャキシャキした食感があるんです。季節になると、姉の店でも出してますよ」
「そうなんですか。食べてみたいですね」
「あー、マコモタケのほうは秋ですね。今は、やっと芽が出てきたところですから」
「詳しいんですね」
この若い女の子の意外な一面を見た気がした。空楽はすんなりと頷く。
「知り合いのおじいさんがまこもの群生地を守ってて。今度一緒に見に行きますか?」
杏奈はとっさに返事ができず、固まった。遊びが少ないと言われたばかりだ。だが、いかんせん最近忙しい。
「私ほど、暇じゃないっすよね」
杏奈の反応を見て、空楽はつぶやくように言った。
「あ、いえ…その、面白そうだなとは思いました」
それは本当だ。未知の植物。まったく興味がないわけではない。
「次の次の日曜日、朝から植え付けをするんです。よかったら見に来てください」
「次の次…」
というと、四月二十三日だ。その日は、事前コンサルがある。
「何時までやってますか?」
「さぁ、たぶん昼過ぎまでやってますが…終わり次第なので」
ずい分時間がかかるようである。
「すみません。今の時点では、行けるかどうか…」
「いいんです」
空楽は、本当に気にしないでほしいというように、短く言った。
どたどたっと音がして、キッチンの中にいた二人は、入り口を振り返った。
「こんにちは~。あら、今日はお嬢さん二人?」
ニコニコと愛想のよい笑顔で現れたのは、短髪シルバーヘアの老女、大鐘。
「あれ、大鐘さん。早いですね」
午後から沙羅もひと仕事あるので、その間沙羅の娘たちの子守をするために呼ばれたはずだが、まだ昼前である。
「小須賀くんの様子を、ちがうちがう。皆さんの様子を早く見に行きたいと思ってね~」
このおばあさんは、嘘をつくのが下手だ。
きょとんと大鐘を見つめる空楽に、
「大鐘さん。時々、子守とか、お掃除とか…あかつきのお手伝いに来てくださっています」
杏奈は簡単に大鐘を紹介した。
「雑用ばばあよ。よろしくね」
自分のことを、これだけ明るく卑屈に名乗れる人も少ない。杏奈は肩の力が抜けた。
「あ~、いいにおいがするわ。今日は何を作ったの?」
大鐘はデシャップから身を乗り出すようにして、キッチンを覗き込む。この老女の食い意地は小須賀から聞いていたし、何度か目の当たりにしたことがある。
─まずいな。
杏奈は鍋を見やった。空楽に、大鐘。予期せず、食い口が二人増えてしまった。足りるだろうか。
「あら、洗い物?手伝うわよ」
「えっ」
「ここは、土足なのよね。お勝手口から入るわ」
「ちょっと…」
杏奈が止める間もなく、大鐘はドタドタとキッチンを出て行った。
これも予期せぬことだったが、戦力が増え、片付けはいつもとは比較にならないスピードで進んでいった。大鐘は、やや雑だが、仕事が早い。食い口は増えたけれど、料理が足りなくなった分、新たに賄い用の料理をする時間さえ取れそうだ。
「あのう、お二人とも、片付けが落ち着いたら、ごはん食べていってくださいね」
「え~、いいんですか」
「悪いわねぇ」
二人は口々にまんざらでもない答えを言う。杏奈は二人に片付けを任せて、新しく一品を作った。
「今日は賑やかね」
美津子がキッチンの様子を見に来た。空楽は美津子を見て、ぺこりと会釈をした。
片付けがひと段落した頃、空楽が自分のリュックをキッチンの中まで持ってきて、中をごそごそとまさぐった。
「杏奈さん、これ」
中からジッパー付きのポリ袋を取り出し、杏奈に渡した。鮮やかな緑色の粉末が中に入っていた。先ほど話に出ていた、まこもパウダーのようだ。
─最初から私に渡すつもりで…
杏奈はまこもパウダーをじっと見つめながら、
「ありがとうございます」
と礼を言った。さっそく、次の試作の時に生地に混ぜてみたい。
空楽は、まだリュックの中をごそごそまさぐっていた。が、思い直したように、リュックのチャックを閉じる。横から空楽の表情を見ていた杏奈は、どうしたのかと口を開きかけたが、
「ただいまーっす」
バーンとお勝手口が開いて、小須賀の声に圧倒されて口をつぐんだ。
「あっ、知らない人がいる」
小須賀はさっそく、大鐘にからんだ。大鐘は顔をくしゃっとさせて、嫌な顔をしつつも、どことなく嬉しそうだった。
正午すぎ。
昼食を摂る者たちで、応接間はにわかに賑やかになった。午後から子守の約束だった大鐘も、ちゃっかり賄いにありついている。空楽がいるからか、今日は小須賀までもが席についていた。美津子と杏奈は、賑やかな他の三人の会話に、ほとんど耳を傾けているだけだった。食べ終わると、杏奈はみんなの食器を引いたが、雑談は途切れることがなかった。
そんな中、沙羅が快と七瀬を連れて出勤した。
「わあ~、なんだか楽しそうですね!」
沙羅はがやがやした応接間の様子を見て、顔を輝かせた。沙羅とその娘たちが来たことで、応接間はさらに騒がしくなった。
空楽はというと、次から次へと現れるあかつきの面々に臆することもなく、むしろ自然に溶け込んでいる。美津子もまた、つい先々週お客として来た女性が、ちゃっかりあかつきに居座っていても、特に咎める様子はない。
─似たものが似たものを増やす…は、人も同じ、か。
おおらかな目線で、空楽を見ていた。
「こんにちは」
玄関から男の声が聞こえ、美津子と杏奈が席を立った。
「今日はよく人が来るな」
と、小須賀がぼやく。
玄関には、鞍馬と加藤が立っていた。
「近くで法事があったから寄ったんだが…」
加藤はいつものごとく、来訪のきっかけを告げた。偶然、鞍馬の訪問と時間が重なったらしい。
「お上がりください」
美津子は二人に言葉をかけ、杏奈はスリッパを出した。
─この方がヨガの先生…
加藤と並んで立っていると、身長の低さが目立つが、加藤とは別のタイプの美男子だった。聞いていたとおり、若い。
鞍馬は、初めて足を踏み入れるあかつきの様子に驚いているのか、しばし視線を左右に動かしていた。玄関こそ、普通の民家のようだったが、ホールはがらんとしていて、階段に敷かれた赤いカーペットと、シャンデリアのような照明が目立つ。実家である湯の花温泉のエントランスと広さは同じくらいに見えるが、純和風の旅館とは異なり、あかつきは和洋折衷だ。
「こんにちは」
応接間に入ると、中にいたスタッフが口々に鞍馬と加藤に挨拶をした。
鞍馬はその異様な面子を見て、呆然とした。若年から中年の男女に混ざって、白髪の痩せた老婆に、小さな女の子たちまでいる。
─ここが、あかつき?
施術、ヨガ、生活環境、食事…クライアントが総合的に癒しの体験ができる場所と聞いている。そして、自分の新しい舞台。
が、そこにいるのは、なんだかへんてこな連中だ。
「あの子が新しいヨガ講師か」
加藤は、美津子にぼそっと訊いた。
「はい」
ライダースジャケットとジーンズという恰好の鞍馬は、背は低めだが、すらっと痩せていて、色が白い。長めにつくった前髪が左右に流れ、鼻筋の通った高い鼻、薄い唇、少し太く凛々しい眉毛、長いまつ毛。女と見間違えるような美男子である。
「来週、クライアントを迎えるので、今日は場所の下見に来てもらったんです」
「そうか。じゃあ、私が勝手を教えようか」
ある意味、加藤の後任のようなものである。美津子は加藤の好意的な申し出に快く頷いた。
応接間にいるスタッフたちは、鞍馬に代わる代わる挨拶をする。
「どうも、料理番の小須賀です」
「料理番の杏奈です」
「セラピストの沙羅です」
「どうも、時々雑用を引き受けてるばばあです」
「通りすがりのニートです」
─料理番とセラピストはともかく、あとの二人はなんなんだよ!
鞍馬は絶句した。
小須賀と名乗った男は自分に無関心そうだし、スリッパを出しに来た杏奈という女はなんだかぼうっとしているし、他の二人は役割が意味不明。唯一、沙羅と名乗った女はまともそうだが、二人の娘らしき子供たちに纏わりつかれて、すったもんだしている。
もっとキラキラした、スタイルも顔も良い面々が働く職場と思っていたが、なんだか、味噌っかすの寄せ集めのように思えた。そして、最も鞍馬が気に食わないことには、自分を見た時のみんなの反応が薄い。前に働いていたヨガスタジオでも、今のジムでも、初めてみんなに紹介された時はイケメンだと騒がれていたのだが。
「鞍馬くん」
背後から低く温和な男の声が聞こえて、鞍馬は後ろを振り返った。加藤という僧侶が手を拱いている。鞍馬はこくりと頷き、加藤の後に従った。その二人の後を美津子が続く。
「あれが、新しいヨガインストラクターさん?綺麗な男の子ですね!」
沙羅がぱあっと顔を輝かせた。
「本当、可愛い顔をしてたじゃない」
大鐘がもっと見たそうに、三人が去っていった方向へ首を動かした。それを聞いた小須賀が、寒気がしたというように身をこわばらせ、
「どうしたの?小須賀さん」
と、空楽の能天気な声が続いた。
杏奈はざわざわするスタッフたちの中で、一人黙りこくっていた。
通常業務に加えて、施術の練習と、テキストの編纂をする中で、杏奈はさらに、ヨガ講師向けのマニュアルや、ヨガの実践に関し、クライアントをサポートするための資料を作成していた。
鞍馬はその能力を見込まれ、美津子の方から願い出て、あかつきで職務を果たすこととなった。いわば、美津子が引き抜いたスタッフ。自らあかつきで働くことを望み、面接を受けて入った自分とは違う。その鞍馬が余計な労働をしないよう、マニュアルやサポート資料を作ることに、杏奈はやきもちにも似た劣情を、ほんの少しだけ抱いていた。
でも、ヨガ講師が来ることは、クライアントにとって良いことである。
─どうかあかつきの、戦力になってくれますように…
その一念が、杏奈に前向きな姿勢をもたせた。
「ちょっと、すごいことになってます」
沙羅は、キッチンにいる小須賀、杏奈、空楽、大鐘に、こっそり言った。めいめい、片付けをしたり、ただ雑談したりしている。
「どうしたんですか?」
小須賀がぼんやりと聞いた。
沙羅が話すことには。居間で子供たちを遊ばせているところに、鞍馬、加藤、美津子の三人が入ってきて、シミュレーションのようなことをしだしたのだ。マットを敷く場所だとか、温度調整の仕方だとか、記録用紙の保存場所など。
「女の人みたいに綺麗な鞍馬くん、ダンディーで大人の余裕たっぷりのご縁さま」
なかなかの絵だった。
「今の場面を写真に撮って、あかつきのヨガ担当ですって宣伝したら、それだけで興味もっちゃう人いるかも」
杏奈はそれには鋭く反応した。それは、宣伝写真として使わない手はない。しかし、会ったばかりで写真を撮りたいというのは失礼か。
「私、聞いてみますよ!」
杏奈がその懸念を話すと、沙羅が意気込んでそう言ってくれた。確かに、沙羅ならやんわりと、そういうことをお願いできそうな気がする。
「はあ~」
沙羅がキッチンを去ると、小須賀は明らかに落胆のため息をついた。大方、綺麗な女性のヨガインストラクターを期待していたのだろう。それなのに、来たのはなんだか生意気そうな若い男。
「小須賀さん、変わりましょうか?」
杏奈は洗い物をしている小須賀に声を掛けたが、小須賀は首を振った。
「いいよ。おれ、洗い物をするために生まれてきたから」
と、いつものように皮肉を言って。
「はあ、楽しい」
と言った小須賀の声には感情がこもっていない。
空楽は小須賀が洗った皿をすぐに拭いていた。普段、小須賀は洗ってすぐの食器はしばらく乾燥させておく。洗ってからすぐ拭いていては、ふきんがいくらあっても足りないからだ。杏奈にもそう教育していたが、空楽にはさせたいがままにさせている。
「クライアントってほとんど女性じゃん。女性目線だと、インストラクターって男と女、どっちがいいもんなの?」
小須賀が、キッチンにいる誰にともなく訊いた。
「私は、女性のほうがいいです」
鍋に残った料理を容器に移しながら、杏奈が答えた。
「どこが硬いとか痛いとか、デリケートな相談も女性のほうがしやすいですから」
「あら、私は男の人でもいいわよ」
にこにこしながら、ただ調理台の傍に突っ立っている大鐘が言った。
「それは大鐘さんが恥も見栄もないおばあさんだから」
小須賀がぼそっと言ったが、大鐘には聞こえていない。
「体の相談はしにくくても、かっこいい男の人がいいって思う女性はいっぱいいると思う」
どこかうっとりとした表情までにじませて、
「いい男の匂いを嗅いだほうが元気になるわよ」
「大鐘さん、言い方…」
杏奈は聞いている自分の方が恥ずかしくなった。
「二人とも、イケメンでしたねー」
空楽がそう言ったが、ほとんど棒読みだった。イケメンという言葉を一回ももらっていない小須賀は、傷ついたように空楽を見た。
「私は鞍馬くんのほうが好みね。かわいくて、元気そうだもの」
「誰も大鐘さんの男のタイプ聞いてないって」
小須賀は意気消沈しながらも、そうする義務があるというかのように、大鐘への突っ込みはすかさず入れる。
「写真、やっぱりご縁さまはNGですって」
沙羅が颯爽とキッチンへ戻って来た。
「鞍馬さんはオーケーって?」
「ええ」
ものすごく、まんざらじゃないという顔で承諾した。
「二人いたほうが迫がつくのにね」
「他にイケメンスタッフいないんすか?」
空楽がさらっと訊いた。何の悪気もなさそうだったが、小須賀がすかさず空楽の方を振り返るのを杏奈は見逃さなかった。
「おれのこと?」
小須賀は期待を込めてそう言ったが、誰も拾わない。
「イケメンといえば、時々ここに来てた柴崎先生も、イケメンですよね」
沙羅は、それこそ無邪気な笑顔で関係者の名前を挙げた。
杏奈は二週間前、まさにここで順正と向かい、失礼な発言をされたことを思い出し、顔は良くても歪んでるのだと、補足を入れたい気分になった。もっともあの時、順正は初対面の時のようにあからさまに杏奈を揶揄してはいなかった。軽くからかった、という程度だ。
「ごめん。みんな、おれのこと忘れてない?」
小須賀が食い下がったちょうどその頃─。
「ぶえっくしゅ!!」
松下クリニックの休憩室では、午前中の診察を終えた松下が盛大にくしゃみをしていた。
「大丈夫ですか…」
順正は怪訝そうに目を細めて松下を見た。順正は今日は休みだったが、午前中に緊急帝王切開が必要になって、駆り出されていたのだ。
「いや…これは、柴崎先生のをもらったような気がします」
とんだもらい損である。松下はティッシュで鼻をかむと、片方の目から涙が出た。
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