第103話「提言」アーユルヴェーダ小説HEALERS

ブログ

 あかつき大作戦終盤戦は、それまでに比べればライトなスケジュールだった。
 最初に来訪したのは、今回が二回目の滞在となる仁美。
「お久しぶりです」
 杏奈と顔を合わせると、仁美はにこっと笑った。平均より大分体重が重い仁美は、顔もふくよかだが、くっきりとした二重瞼の大きな目をしていて、チャーミングである。
 およそ十一か月ぶりの来訪。今回もダイエット目的の滞在だが、ゆくゆくはアーユルヴェーダに関する仕事をしたいらしく、学びを深めるという目的もある。
「テキストほしかったんです」
 テキストを受け取ると、仁美は目を輝かせてページを開いた。
 最初の施術はアビヤンガ。杏奈が担当する。自分よりもかなり体格の大きい仁美の身体を扱うのは、一苦労だった。肉を動かすのに力が要る。体格が小さい人を相手にするより、労力を使う。仁美の身体はしっとりとしていて、オイルはそんなに必要ではなかった。
 午後は、沙羅によるウドヴァルタナ。
 アフターカウンセリングの後は杏奈も混ざって、しばし会話をした。
「アーユルヴェーダは、単発の講座に出て学び続けているんですが、いろんな情報がありすぎて、一人で学ぶのは難しいなと感じます」
 ハーブティーを飲みつつ、仁美はそう語った。
「情報を点で持っていて…大枠が理解できてないと思います」
 特にダートゥ(体組織)やスロータムシといった概念になると、さっぱりである。せっかくなので、空いた時間に少しだけ個人講義をすることにした。杏奈と沙羅が書斎にテレビを運ぶと、仁美は笑顔を浮かべた。
「懐かしい。前ここで紅白歌合戦見ましたよね」
「はい」
 仁美が前に滞在したのは、ちょうど年末の頃だった。
「今年の年末も、人が入るといいんですけど…」
 年末年始の滞在者を呼び込む企画をしている沙羅は、気が重そうに呟いた。

「祝日なのにすまないわね」
 日没が近づいた頃、美津子は応接間で事務作業をしている沙羅に言った。
 美津子は先ほどまで、新しいクライアント、真紀のアフターカウンセリングをしていた。
「いえ、本来もっと私も参加すべきなので」
 あかつき大作戦中も、土日は大分仕事から外してもらった。
 最近は、仕事と育児の折り合いをうまくつけられるようになったと、沙羅は感じている。
「やろうと思えば、夜中に仕事できるんですけど、結局それをすると次の日に反動で、何もできなくなっちゃうんです」
 若い頃であれば、徹夜してでも、物事を押し進めようとしただろうが…今は悲しいかな、思いの外体力がついていかない。
 美津子は頷きながら、席に座った。杏奈は夕食の準備に入っているのか、キッチンから時々物音がする。
「空楽ちゃんの研修もストップしてましたが、また始めないといけませんね」
 あかつき大作戦の間に、大分経験を積んだはずだ。
「あの子は、物怖じしないタイプね」
 周りに気を取られることなく、作業を淡々とこなしていく空楽の姿を思い出しながら、美津子は笑った。
 一緒の部屋で同時に施術することもあったが、空楽は堂々とした態度だった。マイペースといえばマイペースといえるが、何があっても動じないのはセラピスト向きである。慌てふためくことなく、優雅に作業を進めるセラピストは、クライアントに安心感を与える。
「きっと、アビヤンガ以外の施術もすぐに覚えられますね」
 沙羅はにこっと微笑みながらそう言った。
「そうね」
「杏奈ちゃんは、次はウドヴァルタナでしょうか」
「ウドヴァルタナは、あの子はまだ覚えなくていいわ」
 それはまた、どうしたわけだろう。沙羅は目をぱちくりさせた。
「スクラブ系のマッサージは、皮膚に負担がかかるからですか?」
 杏奈は手指の皮膚が敏感だ。本来セラピストの仕事や清掃、料理など、水を使う仕事には携わらないほうが良い体質といえる。健康管理をして、なんとか健やかな状態を保てている、というのが現状であった。
「それもあるし、ヨガニドラを学びに行くから」
「ヨガニドラ…」
 沙羅は大きな目をさらに大きく開いて、瞬きした。
 ヨガニドラを学びたいと申し出たのは、杏奈自身であった。
「この間、杏奈に訊いたの」
 専門性を高めていくとしたら、どの分野を扱いたいか。
「なんて答えたんですか?」
 沙羅は、身を乗り出して尋ねた。
「女性の生殖能力と、心のケア」
 杏奈がそう希望したことは、沙羅にとって、なんの違和感もなかった。彼女を見ていれば、そうであることは自然と分かった。
 どの分野を扱うにしろ、睡眠は大事なことだ。最近は特に、精神疾患を抱えたクライアントが多く、口をそろえて睡眠の問題に言及したので、杏奈は知識・技術ともにヨガニドラについて習得したいと思ったのだろう。
─一貫している。
 と、沙羅は思う。杏奈は目標に繋がることをのみ選択するので、無駄がない。
「沙羅はどう思う。専門性を高めたい分野はある?」
 美津子は、同じ質問を沙羅にも投げかけた。
「私は…」
「杏奈とかぶる、かぶらないは考えなくていいのよ」
 全く違うタイプの人が、同じ分野を扱うのも、それはそれで良いことだ。クライアントは千差万別なのだから。
「…私は」
 思案中、沙羅の脳裏には、あかつきで接してきたクライアントが浮かんだ。
「結衣さんや、玲さんのような方が来たら、その人たちにもっと寄添えるようになりたいです」
 そう言ったのは、クライアントのことはもちろん、プライベートで付き合っている人や、自分のことを顧みた結果だった。
「あ、ごめんなさい。これを分野に当てはめると…なんていうのかな」
 沙羅は答えた後で、思案顔になった。
「育児や、夫婦関係に関する悩みを扱っていく分野って、西洋医学だと…」
 育児学や心療内科系になるってことかなぁ…などと呟く沙羅を、美津子は優しく見守った。
「…すみません。なんか多分、今一番よく考えるのが、子供や家族のことだからだと思います」
 沙羅は肩をすくめた。
「幸運なことに、私は今まで大きな病気にかかって来なかったですし、特に肥満系に強いわけでも、肝臓とか腸を治すことに思い入れがあるわけでもなくて」
 そこまで言って、沙羅はあることに気が付いた。
「そう考えると、ヒーラーに個人的に感情移入してもらえるクライアントって、得ですね…」
 過去の自分と同じ経験をしている、または状況が似ているクライアントの方が、ヒーラーの思い入れが強くなるし、改善のための具体的なメソッドも持っている。
「事業者としては、そんな風にクライアントを差別してはいけないのでしょうけど…」
 美津子は軽く頷いた。
「理想的にはそうね。けれど実際には、ヒーラーが本気になれるクライアントと、そうでないクライアントと分かれることはある。ヒーラーに悪意がなくてもね」
 それはサービスを提供するのが人である以上、どのサービス業であれ発生することと思う。
「自分がどういう人にサービスを提供したいのかが分かっていると、発信すべき情報も、学びの方向性も明確になる」
「確かにそうですね」
「専門性を今すぐ固める必要はないけれど、方向性を持っておくのはいいはね」
「はい」
「その時、あなたの経験…悩みに向き合ってきた経験があればあるほど、自分の強みになる」
 専門性が自分の経験に寄ってしまうことは、仕方がないことだし、実際に経験に基づいて話せることが一番強いのだ。
 これまでの生活や、今の日常の中でどんな問題に遭遇し、どう乗り越えていったか。日々の生活の中で学んだことが、クライアントへ提言をする上でも活かされるのだ。

 金曜、杏奈は午前中に、真紀のアビヤンガを担当した。
 真紀は名古屋市在住、糖尿病内科の医師である。プライベートでは、三歳と四歳の子供の母親。肌が白く、体格は平均的。髪の毛は肩につかないくらいの長さで、華奢な丸縁眼鏡をかけていた。医師という職業からそう見えてしまうのかもしれないが、理知的で、賢そうな印象の女性であった。
「どの分野にすすむかは、研修医の時に決めるんですか?」
 仕事の話になった流れで、真紀にそう訊いた。最近、杏奈は施術をしながら話をすることにも慣れてきた。特にアビヤンガが始まってすぐは、座位のヘッドマッサージで、話をしたがるクライアントも多い。
「研修医の時って、確かにいろんな科をローテーションで見られるんですけど、実際はすごく期間が短くて…私はもともと、こっちかなあっていうのが決まってましたね」
「そうなんですか。もともと、糖尿病を?」
「最初は外科を志してました。でも、長く働くことを思えば、やっぱり内科かなあって」
「外科は、長く働けないんですか?」
「勤務体制がきついですよね」
「あ、確かに…」
「夜中に対応しないといけないし」
 内科であってもそうなのだが、頻度が違うらしい。
「それに、現役で活躍できる期間が短い」
「そうなんですか」
「ええ。五十代くらいになって、視力が悪くなると、もう…」
「あ、確かに…メス入れるの怖そうですね」
「腱鞘炎とかで手が震えてくると…もう、ね」
 杏奈は苦笑いした。手が震える医者には、切ってほしくないものだ。
「それになんか、切って治してさよならっていうのも、なんだかね…」
「はあ…」
 それは杏奈には、分からない感覚だ。より長く付き合える患者のほうが良いということだろうか。
「結婚も出産も、まったく考えていないわけではなかったんで。そうなると、どこが働きやすいかっていう目線で見ますよね」
「若い時に、先々のことまでよく考えておられたんですね」
 杏奈は心底感心して言った。
「いや、そう若い頃ってわけじゃないんですけどね」
 医者は、学生の期間が長い。
「今の職場は働きやすいですか?」
「そうですね…子供産んでから、夜間対応が必要な部署からは外してもらったんで」
「それはいいですね」
 ヘッドマッサージを終えると、真紀の髪を束ねて留め、背中とデコルテにオイルを塗っていく。
「糖尿病になる患者さんって、遺伝的要因がある人が多いですか?」
「うーん…遺伝的要因もありますけど…Ⅱ型だと、生活習慣が原因の人も多いです」
 インスリンの分泌がなかったり、量が少なかったりするのがⅠ型糖尿病。これは先天的な疾患であり、子どもに多くみられる。
 インスリンの働きが低下するのがⅡ型糖尿病。糖尿病患者の九割がⅡ型とされ、Ⅱ型は生活習慣病の一つである。最近では子供にもⅡ型が増えている。
「先日、糖尿病予備軍だというお客さまがいらっしゃいました」
 杏奈は素早くオイルを腕に塗布していく。
「あかつきには、病気になる一歩手前という人や、既に病気にかかっている人もたくさん来ます」
「そうでしょうね」
 真紀は目を開いて、そう言った。それまで真紀は目を閉じて話をしていた。
「西洋医学からのアプローチだけじゃ満足できないっていう人も、実際多いですよ」
 それは杏奈にとっては、なんだか嬉しい情報だった。そういう時、患者がアーユルヴェーダに興味を持ってくれればと思う。
「糖尿病の患者は、中年男性、多いですよ。自己管理できない男性が」
「そうなんですか」
「ええ。病院に来る前に、自分でできることはしろよって思います」
「…」
「だから私も、アーユルヴェーダを学びたいなって思いました」
 真紀ははっきりとものをいう女性だ。賢明な女性が、そんな風に言ってくれるのは、この伝統医療の有用性を肯定されているようで、杏奈には嬉しかった。

 その日の午後、沙羅は再び仁美のウドヴァルタナを担当し、アフターカウンセリングで数値の変化を伝えた。アビヤンガよりも体脂肪率や体重が落ちやすいので、仁美はこの施術が気に入ったようだ。
「私、職業柄どうしても立ち仕事が多いんですけど、ここ二日間は脚のむくみも軽減されたと思います」
 仁美はインテリアショップの店員である。シフト制で食事の時間が変動しやすいのと、衝動的に暴飲暴食をしてしまいがちな点で、今も悩んでいた。
「移動の時になにか食べてしまいがちなんです」
「そうなんですか…口休めになるものを、持ち歩いてみるのはいかがですか?」
 たとえば、そのまま食べられる昆布や、ガムなど。
「旨味を取ると、満足感を得やすいって言いますよ」
「あ、昆布いいですね。買ってみようかな…」
「ぜひぜひ。やってみて、いいと思ったことを取り入れていくうちに、だんだんとヘルシーな嗜好にシフトしていきますよ」
「憧れます。自然派で健康的な食生活。あかつきで出される料理みたいな」
 沙羅はにこっと笑って頷いた。
「ご自身がどんなことをした結果、良い変化を得られたのか、いろんな経験をしておくと、アーユルヴェーダを伝えていく時に役に立ちますよ」
「本当にそうですね」
 仁美は少し肩をすくめた。
「他にご質問はありますか?」
「大丈夫です」
「では、カウンセリングは終わりにします」
 明後日、仁美があかつきを去るまで、沙羅はあかつきに出勤しないので、仁美に別れの挨拶をした。
「寂しいです~。土日は働いてらっしゃらないんですね」
「はい。子供がまだ小さいので」
「あ、お子さんいらっしゃるんでしたね。すごいなぁ。どうしたら、子育てしながらアーユルヴェーダの知識が覚えられるんですか?」
 感心のまなざしを向けられて、沙羅は首を振り、
「いやいや~、私も全然、学びの途上なんですよ」
「そんなことないです。どうやったらアーユルヴェーダが理解できるか、教えてください」
 仁美は、今後も別の講師のセミナーを受講しようか、スクールに入ろうか、決めかねているらしい。学びを得たいという気持ちはあるのだが、学んだことがなかなか身につかない。
「誰に学ぶのがいいとかありますか?あかつきさんで、今後教育の場があれば、参加したいですが…」
「いやぁ…」
 沙羅は頬を掻いた。直近では、あかつきとして、仁美が望むような教育をする予定はない。今回渡した特典のテキストが、体系的にアーユルヴェーダを学べるツールだ。
「仁美さんは、すでにいろいろなところでアーユルヴェーダの学習をしていらっしゃいますし…個人的には、アウトプットしていくのが一番早いと思います」
 これは、沙羅が自分の経験を踏まえた上での提言であった。アウトプットといっても、様々なやり方がある。自分の生活に取り入れる、人に伝える、SNSで情報発信する…どの形であってもいいので、学んだことをアウトプットするのが、学びを自分のものにする一番の近道だと、沙羅は思う。
「知識を入れると、私たちは知識に基づいて良い悪いを判断しがちですが、一番見るべきなのは自分とその経験です」
 アーユルヴェーダを仕事にし、クライアントを取っている場合は、そのクライアントを見るべきだ。相手がどういう性格で、どんな食生活を送っていて、どのように日々を過ごしているのか。
 アーユルヴェーダをその人に当てはめるのではなく、その人にとって簡単に取り入れられて、かつ有効なやり方にカスタマイズして、その人だけの実践法として渡すべきだ。そうやって適合させていく過程で、ようやく、知識が自分のものになる。
「なるほど…」
 仁美はまた、感心したように頷いた。覚えは悪くとも、素直な女性なのだ。
 仁美との話を終えた後、沙羅は、真紀にも声をかけに行った。真紀の施術は一回も担当しなかったが、顔は合わせている。
「真紀さんのお子さまは、男の子ですか?女の子ですか?」
「女の子です。二人とも…」
「じゃあ、うちと一緒です!」
 沙羅はにこっと笑ったが、真紀はどこか憂鬱そうな顔になった。
「子育てって…大変ですよね」
 丸縁眼鏡をキラリと光らせながら、真紀は言った。
「仕事をしてたほうが、楽です」
「あ…分からなくもありません。それ…」
 この人の担当をしても、面白そうだったな…と思いながら、沙羅はあかつきを後にした。

 土曜日の午前中は、空楽が仁美の、杏奈が真紀のアビヤンガを担当していたので、小須賀は大鐘と二人で弁当づくりをした。といっても、大鐘は調理には関わらないので、実質、小須賀一人で完成させる。
「大鐘さん」
「はあい?」
「もう、ここはいいんで。客間の掃除でもしてきてください」
「いやあね。そんなに邪険にしなくてもいいじゃない」
 ぺちゃくちゃ喋っている大鐘を無視して、小須賀はタバコとスマホを持って、お勝手口から外に出た。大鐘はおおざっぱだが、やることは早い。すでに客間の掃除などは終わらせていたが、だからといってキッチンに籠られては困る。その間、ずっと大鐘の相手をしなくてはならないのだから…
「ふぅ…」
 小須賀は煙草をふかしながら一息ついた。すぐ傍に洗濯物が干されているので、タバコの煙がかからないよう、風向きに注意しながら。
 夜の仕事を辞めてから、女の子とのやり取りが減った。あかつきで仕事をする時は、一服を入れる度に、誰かしら女の子からラインが入っていたのだが、今はそれがない。仕方なく、ネットニュースや漫画を読んで、気分転換を図る。それがどこか寂しい。
 コツ、コツ、コツ。
 庭から音がして、小須賀は自分専用の灰皿にタバコを押し付け、立ち上がった。
 畑で、美津子が野菜の手入れをしていた。
「あら小須賀さん」
 美津子は小須賀の存在に気が付くと、ちょっと顔を上げて二階を見やった。寒いので施術室の窓は閉められていた。
「お弁当づくりは順調?」
「全然だめです」
 美津子は苦笑した。それが本当であれば、小須賀は今ここにはいないはずだが。
「大鐘さんをなんとかしてください」
「大鐘さんを?」
「スピーカーもいいとこです」
 集中力が途切れて仕方がない。それを聞くと、美津子は高らかに笑って、
「小須賀さんにそんなことを言わせることができるのは、あかつきじゃ大鐘さんと沙羅くらいね」
 作業を続けながら、目に涙さえ浮かべてそう言った。
「ところで…彼女とはどう?」
「どうって、別に、仲良くやってますよ。プロポーズもしたし」
 それは知っている。それが、どうなったかと聞いているのだが。
「いつ結婚するの?」
「分かりません。というか、まだ返事もらってないし」
「え、そうなの?」
 美津子は小須賀を振り返った。プロポーズしてからずい分経っているはずだが、まだ保留にされているのか。彼女との付き合いは長く、返事は決まっているのではないのだろうか。
「お相手の方は、結婚にこだわってないのね」
「そうですね。僕も別にいいんです、このままでも」
 小須賀はプロポーズをはぐらかされていることに対して、別に傷ついてはいないようだ。
「あとで、ちょっといいっすか?美津子さん」
 小須賀はそこにしゃがんで、美津子と視線を合わせた。
「僕、明日からしばらくあかつきに来ないんですが、間が空くと言いそびれそうなので」
 美津子は小須賀をちらりと見て、頷いた。

 あとで…とは言ったものの、小須賀はその後弁当納品や昼食の準備に入り、美津子は午後から真紀の施術を担当したので、結局二人が落ち着いて話ができるようになったのは、夕暮れ時であった。
「ごめんなさい。待たせてしまって」
「あ、いいです。僕、土曜日のシフト外してもらえたんで」
 とは言ったものの、空楽も杏奈も午後の施術に入っていて、待っている間小須賀の相手をしてくれる人といえば、やっぱり大鐘しかおらず退屈だった。
 空楽は午後、足込町観光にやってきた夫婦のうち、妻・都のアビヤンガを担当した。その間夫・圭吾のほうは明神山へ登りに行き、少し前に帰って来たところ。
「本業のほうに影響出させてしまって、申し訳なかったわね」
 美津子は、珍しく小須賀を居室に呼んでいた。最近、日没は四時半過ぎになっていて、もうすでに、南向きのこの部屋も、電気をつけないと薄暗い。
 美津子は湯呑にお茶を注ぎ、小須賀に渡した。
「居室にお邪魔してまで話さないといけないような、たいそうな話じゃなかったんですけど」
 小須賀は愛想笑いを浮かべていた。歳が大分上とはいえ、好みの女性と二人になるとドキドキしてしまう、とはさすがに言わなかった。
「いいのよ。あっちにいると、誰かしら行き来するから」
 美津子は自分の湯呑にもお茶を注いだ。まだ飲めるほど冷めていない。
「あかつき大作戦、成功だったんじゃないですか?」
 斜め向かいに座る小須賀が、話を切り出した。美津子はうっすら笑みを浮かべて、
「まだ、終わってないわ。明日クライアントが帰るまでは」
「もうここまで来たら、終わりみたいなもんですよ」
 それには美津子は、笑みを浮かべるだけ。
「大変でしたよ」
 小須賀は大仰に言った。
「僕はセラピストほどじゃないですけど、あかつき大作戦はとても大変でした」
 美津子は笑みを消して、お茶に向けていた視線を、小須賀に移す。
 自分のことを言っているのではない。小須賀は、他のスタッフがどうだったかということに基づいて、話をしている。
「みんなが無理をして、何とかなった、という状態です」
 綱渡りだった。みんなの好意で、成り立った部分も多い。永井はギリギリまで足込温泉のシフトを入れるのを待ち、その労働力のうち、あかつきに割く配分を増やしてくれた。大鐘は頼まれている時間以外も残って、頼まれていないことでも、自分にできることをしていた。羽沼は時々SNSやHPにテコ入れしたが、すべてボランティアである。
「もちろん、みんな見返りなんか求めてないでしょうよ」
 幸運にも、親切な人に恵まれた。
「でも見返りがない仕事は、いつまでも続かない」
 美津子とて、それは分かっている。タイムカードに関わらず、時間外やボランティアの部分にも、なにかしらの報酬をつけようとは考えているのである。が、小須賀の言っているのは、一時的な金銭問題だけではないだろう。
「今後もあかつきの事業を拡大していくつもりなら、ちゃんとスタッフを囲わないと」
 そういうことなのであった。永井は足込温泉との兼業。鞍馬は本業の合間にヨガのレッスンに来た。空楽は業務委託契約だが、やる気があり、違う形ならばもっと働ける。
「確かに、スタッフを囲うには、コンスタントに仕事が入っている状態を作る必要があります」
 仕事を入れられなければ、損となる。当たり前のことだが、経営者にはリスクがある。
「それでも、人材を囲うことの方が先だと思います」
 冷静な口調で、小須賀は言った。
 今は仕事が入ってから、それをこなすために無理くりスタッフに時間を取ってもらっている。しかし、特に現役世代の者たちは、そんな不安定な勤務形態では、長く働いてくれない。
「こんなこと言うのはおこがましいですが…」
「…いいえ」
 美津子は一口お茶を啜った。小須賀は、美津子を見つめた。
「その通りよ」
 美津子はなんの言い訳もしなかった。小須賀は眉をひそめた。
「今は、良いスタッフが集まっていると思います」
 あかつきと関わることを前向きに考えてくれているスタッフたちが。
「そうね」
 彼らを手放すのは、惜しい。
 あかつきの仕事を、隙間時間のお小遣い稼ぎではなく、本業か、それに近いくらい重要な位置づけにしてもらうことは、今後のために必要だ。
 スタッフたちが主体的に考えて動いてくれたおかげで、あかつき大作戦中のサービスは、これまでより質が高いものとなった。この質を維持するためには、今までのあかつきの体制のままでいてはいけない。
「ありがとう、小須賀さん」
 美津子は心からそう言った。
 あかつきの事業を継続させるならば、今リスクを取っても、未来のために腹を添えなければ。

 


 

前の話へ戻る  》次の話へ進む

》》小説TOP

 

 


LINEお友達登録で無料8大プレゼント!
アーユルヴェーダのお役立ち情報・お得なキャンペーン情報をお届けします

友だち追加