【アーユルヴェーダ関連本紹介】『Prakriti』ver2

こんにちは!

今日は先日ご紹介したアーユルヴェーダに関する書籍Prakriti your ayurvedic constitutionの続きです。
「意識」を自分の心や体に向けることについて、著者が引用したとある方の名言とは?


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アーユルヴェーダに関する本・書籍『Prakriti your ayurvedic constitution

この本の中身のご紹介です。

2回目の登場!このなかなか印象深い表紙……

著者はRobert E. Svobodaさんです。

現代の主要な問題『ルーツレスネス』と『無頓着、無意識』

ちょっとメンドウくさそうな内容だなと思ったそこのあなた……
はい、ちょっと分かりにくいかもです。
私もこの本の一言一句、理解できていません(そもそも訳が間違っている可能性がある……)

でも、必ずためになる本です。

アーユルヴェーダは今から5千年ほど前には存在しました。
アーユルヴェーダはその効果を科学的な根拠というよりは、その長い歴史の中で数えきれないほど大勢の医師と患者によって証明してきました。

各状態にふさわしいセラピーを決め、施すことに関し、専門知識が現在までに絶え間なく集積されてきています。

筆者は、現代の主要な問題を2点述べています。

ルーツレスネス(ルーツがないこと)

これは今日の人々の移動性によって促進されている病気で、ここで筆者はアメリカ人の特性に関する記述をしています。

私たち日本人は大部分が先祖代々ずーっと日本で住んでいて、最近はいろんな国の人たちを見かけるものの、単一民族国家なので、日本人としてのルーツ(私たちはどこから来たのか、的なやつかな。伝統とか文化とか、習慣とか)を忘れることはあんまりないと思いますが。。

フォーゲットフルネス(健忘症、怠慢)

現代人はルールを忘れ、神を忘れ、モラルを忘れることに忙しい。

何が問題なのかというと、「私たちが“本当のアイデンティティ”からはるかに遠ざかってしまうこと」が問題なのだといっています。

本当のアイデンティティとは、アーユルヴェーダやヨガ的にいえば「プラクリティ」=本質のことでしょうか?

私は料理教室などで、生徒さんに、

「生まれ持った体質(プラクリティ)が私たちの最も心地いい状態であり、そこから毎日私たちは離れていくか、近づくかのどちらか。プラクリティに近づくための原則は……」

などと説明をするのですが(簡単に、ざっとね)、この本質から遠ざかってしまう原因の一つとして、筆者は上記の2点を挙げているのです。

再び、(私の理解ですが)繰り返します。

本質を忘れたり、本質に気付いていないこと自体に無頓着、無意識でいることは、私たちを本質から遠ざけてしまいます。

ちなみに、フォーゲットフルネスのところに書かれている「神の存在を忘れ」の部分について、
もう「神」という言葉が出てきただけで、ちょっと読むのに抵抗があるかもしれませんが、私がちょうど最近、この類義語が現実世界で使われた例があったので、紹介しますね。

人生の大先輩が話した「大いなるもの」への意識

私は今蒲田のアーユルヴェーダカフェdideanで働いています。


モーニングとランチ、両方入って、モーニングは正直アーユルヴェーダともスリランカともうたっていない朝食(和食、洋食、グラノーラ)を出しているのですが、ここから、思いもかけない学びを得ることも多く。。

一緒に働いている人生の大、大、大先輩である女性が、

「神様は見てるんだねぇ。私、神様を信じてるわけじゃないけど、大いなる存在はあると思ってるからね」

と言っていたことを思い出しました。

……どういうくだりで、こう仰ったのか忘れてしまったのですが()
確か、幸運なことがあって、それが普段のお客様の目に見えないところでの料理への心遣いを神様が見ていて、そんな幸運をもたらしてくれたんだ、っていうような話だったと思います。

私は全く信仰心のない人で、見えざるものの存在を考えることなどほぼありません。若年層ほど、そうかもしれませんね。

といっても、実家にいる時は、仏壇があったし、おじいちゃんおばあちゃんとも一緒に住んでいたので、なんだか幼いころの方が、誰は見ていなくとも大いなる存在は見ている、だから悪いことをしちゃいけないと教えられてきたし、そういう意識があったと思うのですけど、
なんだか、忙しい毎日を送りすぎて、そんなこと会社で働いていた5年間考えもしなかったですね。考えていたのかどうかももう分かりません。

なんでこんな話をしているのかというと、先ほどのforgetfullnessの「神を忘れ」の部分が、ちょっと現実離れしているのではないか?と受け取られないために、使われ方の一例を挙げた、のでしたね。

はい、では次に進みます。

人生をはだしで歩く

アーユルヴェーダは人間を自然界の一部とみなします。

筆者は、ある人がインドを訪れた後に述べた名言を記しています。

『はだしで歩くとしたら、どうして地球のことを忘れられようか?』

そしてこの本の目的を

『人生をはだしで歩くことを再導入(提案)する』

こととしています。

靴も草履も履かないで、はだしで大地を踏んだら、でこぼこして、痛いかもしれないし、冷たいかもしれないですね。

でも、そのほうが自然の存在をより感じられます。
はだしで歩く=気付くということです。

人生を通して自然や本質に気付く、意識することについて語ろう。

この本の冒頭部分では、そんなことが書かれていました。

ヨガとアーユルヴェーダを勉強する

なんかこう、ヨガやアーユルヴェーダとか、哲学の中で述べられていることって、表現が難しいし高尚な感じがする(それだけに近寄りにくい)ので、なんか私には関係ないわって思っちゃいそうなんですが、

実は言ってることは、取るに足りないというか、当たり前すぎてなんでわざわざそんなこと、難しい表現でもう一遍言うの?って思うことだったりします。

そんなに目新しいことじゃないと感じます。
それも当たり前。アーユルヴェーダは不変の科学だからです。何千年もおなじことを説いています。人が一生のなかで、なんか前も聞いたことあるぞ、と思って当然です。ただ、普段意識を向けることがあまりにも少ない。

働いている人は、「意識なんてね、ヒマな人しかしてる余裕ないよ」って思うかもしれないですね。それよりも、社会貢献をしろと。

なんかきっかけがないと、よくヨガのクラスでも言う「自分の内側に意識を向けて」とか、考えないかもしれない。
でも、準備ができた人には、そのタイミングで誰かが「人生を通して自然や本質に気付く、意識する」ことについて、教えてくれると思います。

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