【ヨガ哲学】ヨガスートラにおける八支則とは│人生を楽しむための実践法

八支則 アーユルヴェーダ

パタンジャリの『ヨーガスートラ』にあるサーンキヤ哲学には、「八支則」が記されています。

八支則は、人生を楽しく歩むために体系化された、日常生活で実践できる生き方のガイドラインです。

本稿では、この八支則についてお伝えします。

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八支則とは

八支則とは、パタンジャリの『ヨガ・スートラ』の中で記述されている、最適な人全の生き方を描写したものです。

生き方のガイドラインを示しています。

ある程度の段階までは次のステップの準備のために段階的に行いますが、

私達の生活の異なる側面の中で、同時に実践していくこともできます。

ヨガ・スートラとは

ヨガ・スートラは、紀元前から受け継がれたヨガを、紀元後4~6世紀頃に記述し、完成されたといわれている教典です。

八段階の積み重ねによって構成されているので、 アシュタンガ (8つの部分=八支則の)ヨガとわれています。

八支則

①Yama(ヤマ)

5つの禁戒、日常生活で行うべきでないこと、内的浄化です。

  1. Ahimsa(アヒムサー):非暴カ
  2. Satya(サティヤ) :真実と正直
  3. Asteya(アステーヤ) :不盗
  4. Brahmacharya (ブラフマチャリ) :禁欲、 感情のコントロール
  5. Aparigraha(アパリグラハ) :不貧、 欲しがらない

ヤマについてはこちらの記事で詳しく書いています。

②Niyama (ニヤマ)

5つの規律、日常生活で行うべきこと、外的浄化です。

  1. Shauca(サウチャ) :浄化
  2. Santosha(サントーシャ) :知足
  3. Tapas(タパス) :苦行
  4. Svadhyaya(スワーディヤーヤ) :聖典読語(どくじゅ)
  5. Ishvara-pranidhana (イシュワラプラニダーナ) :神への祈念

ニヤマについてはこちらの記事で詳しく書いています。

③Asana(アーサナ)

ポーズ。

肉体のサットヴァ的な浄化です。

ヨガ

ヨガ・スートラは次のように語っています。

Sthira Sukham asanam
(ヨガのポーズは、安定(Sthira)していて、 快適(Sukham)なものでなくてはならない。)

アーサナは、エクササイズ、健康のための運動と考えられがちですが、本来は、瞑想のための体の準備です。

瞑想の中で長い間座っていることは、柔軟な体を必要とします。

体の不調、違和感から開放され、体をコントロールできれば、心もコントロールできます。

アーサナという名詞は、「座る」という動詞のアースから転化したものです。

アーサナの種類は数多くありますが、いずれも、ゆっくりとした呼吸と共に、その一定の型を通して動く瞑想、体を使った祈りといった状態をめざします。

これによって、身体的な健康を実現します。

アーサナを日常生活の中で規則的に一定の時間行うと、身体的、精神的にも良い影響を与え、安定させ、各人の性格や、生き方にも多大な影響を与えることとなります。

④Pranayama (プラーナヤーマ)

調気。

微細エネルギーの浄化です。

ウジャイ呼吸

プラーナーヤーマは、プラーナ(生命力・宇宙のエネルギー) を呼吸法によってコントロール(アーヤーマ) する行法のことです。

プラーナは至る所に存在する生命エネルギーで、呼吸を通して私達の体内に流れています。

アイアンガー氏は以下のように語っています。

ヨギーの人生は、日数ではなく呼吸の数で計られる

呼吸法によって、次のような効果が表れます。

  • 酸素を体内に取り入れ、血液を燃焼させ、生命エネルギーに転換する
  • 交感神経と副交感神経のバランスをとる
  • 感情とリンクして心の状態をコントロールする
  • 心肺機能を高め、病気を追放する。
  • 静かで落ち着いた心をはぐくむ。

>>プラーナ・プラーナヤーマとは
>>プラーナヤーマ(呼吸法・調気法)の目的と効果

⑤Pratyahara (プラティヤーハラ)

制感、感覚のコントロール、感覚と心を内に引き戻すことです。

プラティヤーハラには、「向けて集める」 という意味があり、 感覚器官をそれぞれの対象から引き離すことをいいます。

身体生理的な部門から、心理的な部門へと入る掛け橋となるのがこのプラティヤハーラの段階です。

座法や呼吸法の後、意志的な 「動作を納めて」、瞑想の姿勢に入ります。

その時、外の世界に向かう心や、感覚を対象から離し、意思の働きを内部に向けて、冷静に自己をみつめる心理作業の準備となります。

思考や五感ははからずも、外界の対象をつかみ、つかまれています。

その対象から離れ、内面へと集中していく行法は、絶えず心を悩ませ、不安を与える問題から一旦心を引き離し、「なにものにも囚われない自在な心」 に立ち戻るきっかけになります。

⑥Dharana (ダーラナ)

凝念、心の作用から離れ、内側に集中することです。

心が1つのポイントか1つの像に集中すること、動かさないことをいいます。

キャンドルの炎や花、マントラのような対象(物)に心を留めることによって、余計な考えを押し出して徐々に心を静めることです。

ろうそく

⑦Dhyana(ディヤーナ)

静慮、集中の対象物との絶対的一体感です。

対象となるもの無く途切れずに瞑想することです。

凝念で一点に集中していた心が、その対象と同化し始めます。

日常の意識を超えてある種の 「洞察」や 「ひらめき」 が起こり、広く深く、自由に展開されていく状態です。

これにより、「無意識」や「無」になるのではなく、「覚醒 (目覚め)」と「宇宙との一体化」が実現できるといわれています。

⑧Samadhi (サマディ)

悟り、ブルシャ、あるいは内なる神と完全に一体になる状態です。

ヨーガにおける8つの法則 (道)の最終目的とはサマディ (三昧)、すなわち究極の至福です。

これは純粋な熟考、自分と宇宙は一つという超意識のことです。

サマディを成し遂げた者が悟りに達するといわれています。