【ヨガ哲学】プルシャルタとは(人生の4つの目的)

プルシャルタ アーユルヴェーダ

ヨーガの経典(ヴェーダ)では、人生の4つの目的について書かれています。

本稿では、この4つの目的「プルシャルタ」について解説します。

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プルシャルタとは

「プルシャアルタ purusharthas」 とは、ヴェーダで説かれる人生の4つの目的のことです。

「プルシャ」は自由意志を持った私達人間のこと。

「アルタ」にはいくつかの意味がありますが、ここでは「目的」を指します。

年齢や性別、 国籍や宗教に関わらず、誰もがこの4つの目的を追求していきます。

自分が本当に欲しいもの、人生の目的は何でしょう。

プルシャルタについて考えることは、自分の人生の目標をきちんと把握し、行動がそれに繋がっていない時、軌道修正を図るための助けとなります。

1.アルタ Artha(安全・富)

アルタとは、安心、安全のために私達が必要とするもの、私達を精神的な痛みや肉体的な痛みから守ってくれるものです。

繁栄や財産、占有権、経済的価値などに関わっています。

家族

暖かく快適な家、食事、衣類、お金、貯蓄、保険、子供など。

しかし、行き過ぎたアルタの追及は、貪欲と利己主義に陥ります。

2.カーマ Kama(喜び・楽しみ・欲望)

食事

カーマとは、私たちの五感を喜ばせてくれるものです。

美しいものを見、心地の良い音を聞き、美味しいものを味わい、良い香りを楽しみ、柔らかくやさしい肌ざわりを求めること。

美味しい食事、旅行、性的快感など、あらゆる楽しみや喜び、幸せを探求することです。

行き過ぎると、身勝手さと希薄さを招きます。

3.ダルマ Darma(使命・調和)

ダルマとは、職業や使命、また善い行いによって得られる「徳」のことです。

ヴェーダ(聖典)の中で説かれている善い行いとは、自分の利益を顧みない奉仕、人のために力を尽くすことです。

その行いによって積まれた「徳」はプンニャといい、プンニャは「アルタ」と「カーマ」を手に入れるための助けになるとされています。

また、自己表現や自己実現の要求を満たすことに関連しています。

ダルマを実行することで、高い倫理観をもち、高次の自我や内なる自分と繋がることに導かれます。

しかし、行き過ぎると権力を探求するようになり、支配と暴力を導きます。

4.モークシャ Moksa(自由)

私達を束縛するもの、依存しているものからの自由。

人生から自由になることであり、人生の主たる目的といわれています。

アルタ、カーマ、ダルマで得られるもの、つまりこの世界から手に入れられるものは何でも、自分を縛り付けてしまう可能性があり、それらを求めることをやめ、本当の自由を追求することが、「モークシャ」を求める生き方です。

モークシャは単なる目標ではありません。
私たちの本質です。

目標から解放され平和の状態です。

この意欲的でない状態を、現代社会では「怠惰」と勘違いされがちですが、より高次な「意欲的」でない状態を指します。

モークシャへと至る道

個々の目的はそれぞれ大切なものでありながら、人生の真の目的であるモークシャに、ある程度順序を経て向かっていくようでもあります。

アルタ・カーマ・ダルマから得られるものの限界性

まず最低限自分の安全(アルタ)を確保したら、さらに人生においての喜びや楽しみ(カーマ)を求め、人によっては、仕事や使命を通して、正しく、良い行テいを積み重ねていく(ダルマ)でしょう。

アルタ、カーマ、ダルマは、ラジャスの性質である「目標を探求すること」によってもたらされます。

しかし、それらを求めて得られるものには、限界があります。

私たちは常に幸せであることはできず、痛みと永遠に無縁であったり、痛みから完全に自由になったりするのは不可能です。

欲しい物を得たとしても、完全には満足できず、次なる物を求めてしまいます。

幸せを得るために、人やお金などに頼らなくてはいけませんが、頼りにしている物事自体、そもそも変わりやすいものです。

人生の真の目的「モークシャ」

ヴェーダは、このような限界について触れながら、人生の真の目的である「モークシャ」への追及を促していきます。

ヨーガの聖典が教えてくれるのは、私達が 「自由を探し求めること」から自由になること、「本当の自分は既に自由である」ということです。