どうしてこんな顔に生まれついたんだろう?
もっと社交的な性格だったら、うまくいくかもしれないのに。
あの子と同じようにしても、うまくいかない。
あの子はもともと持っている質がいいんだ。私にはそれがない……
そんな風に自分を卑下してしまう!><
誰にでも経験のあることではないでしょうか。
アーユルヴェーダに学ぶ自分自身の捉え方
一見、恵まれた容姿や性格をしている人ですら、自分に欠けている何かを持っている人を見ると、羨ましく思うものです。
私も、ずーっと顔や体、性格にコンプレックスをもっています。
このような私たちの苦悩を、アーユルヴェーダと、その元になったサーンキヤ哲学はどのように解決してくれるのでしょう。
私なりの解釈(答え)は、
「自分の使命(ダルマ)を果たすために、最もふさわしい形で生まれてきた」
さて、どういうことでしょう?
本記事で詳しく紐解きます。
ネガティヴ思考・自己嫌悪に陥りやすい性格の私
私自身のことを書かせてもらいますと……
顔、体、性格に関しコンプレックスがありすぎて、昔からうんざりしています。
今現在もなお、です。
クラスの中で、一番ブサイクなのは私かもしれない、と思ってきました。
さらに、OL時代こんな出来事がありました。
スタートラインから違う……?
新入社員の懇親会に、先輩社員として参加したときのことです。
私は新入生の発表を、同期(男性)と隣の部署の先輩社員(男性)とともに聞いていました。
その二人は、仕事でやりとりをよくするので、打ち解けて、いい関係を築けていると思っている人たちでした。
でも、初々しく、しっかりとした新入生の女の子の発表を聞きながら、彼らはこう言いました。
「あの可愛さはKにはないなぁ」
「Kとはスタートラインが違うなあ」
Kとは私のことです。
打ち解けた間柄だからこそ、冗談めかしてこう言ったのかもしれませんが、私はすくなからず落ち込みました。
「スタートラインが違う」
この言葉は突き刺さりましたね。
テレビだったら、テロップ出てますよ。
ちびまる子の世界だったら、がーんって感じの縦線が刻まれますよ。
ヨガだの、顔ヨガだの、努力したって、もともといい質を持っているあの子たちには、敵わないのかい。
努力せずに、最初っからスタートラインが上の方の人は、いいよなぁ。
クラスの中で優越を考えてしまう、中学・高校の時の自分に戻ったように、私は自己嫌悪と、寂しさを覚えました。
はいっ、自己嫌悪ストップ!ののしられたのは、あなたではありません!
「ほんと、スタートラインから違いますねー、アハハ」
先ほどのエピソード、こんな風に笑って流せられるとよいのですが、そうもいきません。
もやもやした感じは、残ります。
ということで、スタートラインの差を感じて傷ついた自分をなんとかして励ます、アーユルヴェーダの考え方をご紹介しましょう。
本当の自分は乱されることはない
アーユルヴェーダの素となったサーンキヤ哲学では、本当の自分は物質世界の外にいるという考え方をしています。
物質世界の本質を「プラクリティ」、物質世界の外にいる本質を「プルシャ」として捉えています。
プラクリティは、物質世界でのあらゆる出来事によって乱れますが、物質世界の外にいる本質プルシャは、何があっても変わりません。
私を例にとると、体をもたない、精神世界の本当の私がプルシャとして存在していて、この世に生まれてからこのかた、体をもつKという乗り物(プラクリティ)に乗っかっています。
「スタートラインが違う」とののしられたのは、乗り物であって、本当の私ではありません。
でも、本当の私は、この乗り物に乗っかっている以上、乗り物が動かなくなるまで、乗り物に乗っていなければなりません。
もう腹を据えて、この乗り物を使いこなすしかないのです。
他の乗り物のほうがいいと言ってもしょうがないんです。
目的地は乗り物の性質によって変えなければならない
どの船なら、大海原を旅できますか?
どのボートなら、激流を下れますか?
どの車なら、山道を走れますか?
どの車なら、狭い道を通り抜けられますか?
操縦者であるプルシャの私は、自分の乗り物のことを、よく知らないといけません。
丈夫でない車輪しか持っていないのなら、高い山を登ろうとしない方がいい。
けれど、カーナビをもっている車なら、迷いやすい道でもなんとか進むことができる。
これと同じように、私たちは、自分の身体と心、性格、知能。あらゆる質を観察して、どの方面に向かうのがたやすいのか、判断します。
その乗り物の特性を生かし、かがやかしく活躍させられる道がどういう道なのか、ここを見極めないといけません。
スポーツカーは見た目はかっこいいかもしれませんが、がたがた揺れる坂道を乗り越える馬力があるとは限りません。
スタートラインが違うのではありません。
スタートを切る道が違うだけです。
私たちは乗り物を選んで生まれてきた
「そうはいっても、この乗り物嫌い」
それでも、私たちはこの乗り物を選んで生まれてきたのです。
この乗り物は、あなたの使命や、やり遂げるべきこと(人生の目的)を果たすために、最も適した乗り物なのです。
だから、私たちは操縦者として、私たちの人生の目的は何なのか、それを果たすために、自分の乗り物をいかに使うか、ただそのことをのみ、考えるべきです。
※これはヨガとアーユルヴェーダの素になっているサーンキヤ哲学における「二元論」の考え方です。
乗り物を理解することで好きになる
では、どうしたらコンプレックスでいっぱいの自分を好きになれるのでしょうか?
それは、乗り物としての自分の質を、より理解することです。
そして、どんな方向にエネルギーを向けたら、元気よく走っていくだろうかと考えます。
もしうまく走るようになったら、嬉しくなりませんか?
自然に、うまく走れている時に、ああなんで自分はこんな乗り物に乗っているんだなどとは、思いません。
自分らしく輝くために、自分のことを認めましょう。
そして、ありのままの自分で認められる方向へ、舵を取ってあげましょう。
乗り物が目的地にたどり着けるかどうかは、外界の何からも影響を受けることのない本来のあなたの腕に、かかっています。