【ヨガ哲学】サントーシャ│独りぼっちだった自分を忘れずに

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サントーシャとは何かと聞かれたら、皆さんはどのように説明されるでしょうか?

サントーシャの考え方を、パートナーとのやり取りに絡めて書いてみます。

(※2020年2月11日のアーユルヴェーダメールレッスンで配信した内容となります)

 

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ヨガ哲学│サントーシャ

サントーシャとは、ヨガの八枝則、「二ヤマ(日々行った方が良いこと)」の一つ。

意味は知足。

文字通り、「足るを知る」ことです。

 

普段生活する中で、家があることや、家族の存在、3食たべられることについて、ありがたいと思いながら、様々な不満や、もっとこうであってほしいという欲が湧きます。

けれど、今あるものに感謝をし、すでに満ち足りていることを知れば、内面的な豊かさと幸福感を得られる。

教科書的に解説すると、上記のようになると思います。

このサントーシャという概念を理解しつつも、実際にはそのように考えられない時、私の頭の中にはマッキーのBGMが流れます。

※2020年2月11日に、同内容のメールレッスンを流した後に、マッキーの事件を知りちょっとショックでした。。

『一人ぼっちだった自分をお互いに忘れずにいればきっと平気~♪』

 

独りぼっちだった自分を忘れずにいれば平気

「一人ぼっちだった自分をお互いに忘れずにいればきっと平気~♪」
by植原敬之

このフレースだけで、マッキーのなんの曲だったか分かる方は、だいぶマッキー好きですね。

ちなみに、私は少し前まで、特に同年代の女の子が、
「恋人」「旦那」「赤ちゃん」「子供」「家族」について語ることに、やや抵抗がありました。

できれば聞きたくない、という思いがありました。

そもそも、自分がヨガやアーユルヴェーダに傾倒したきっかけは、
大切な存在を失い、多大なる喪失感に包まれた一瞬ー瞬を、何かで気を粉らわせたいという思いでした。
(最終的に、最も気がまぎれるのは料理でしたが)

4年ほど、そのょうな期間がありました。
25歳からの4年間、男なし、途中から仕事なし(あったけど不安定)の独り暮らし。

そのころの私の心理は、メタトロン(ロシアの周波数カウンセリング機器) によると、
「心配、不安」「年を取ることへの恐怖」「将来への不安」
などの言葉で表現されてしました。

恐ろしく当たっていました。

幸運にも現在のパートナーと出会えましたが、
一緒にいたらー緒にいたで、次のような思いが出てくることがあります。

「今日は〇〇する予定だったのに、予定が狂ってしまった……」

「洗い物をしてくれるのはありがたいし、早いけど、水が飛び散りすぎる」

「(彼がテレビやら仕事のことやらであーだこ一だ言うことに対し)相槌を打つのが面倒……」

 

ここで、マッキーの登場です。

「一人ほっちだった自分をお互いに忘れずにいればきっと平気~♪」

そうなのです。。

この歌のこのフレーズは、でも、パートナーへの「サントーシャ(知足)」ができていないと
思った時に、さっと取り出す歌のお守りです。

同時にサントーシャ、サントーシャと自分に言い開かせます。

自分の予定が狂っても、床がべたべたになっても、相槌が面倒でも、

そのような思しいさえ抱かず寂しいと感じていたときを思えば、

なんと取るに足らない賛沢な不満でしょうか。

 

今のままで十分です。
余計な期待や望みを抱くべきではありません。。

サントーシャってそういうことなのかなと思います。
(違っていたらゴメンナサイ)

皆さまはサントーシャについて、 どう思いますでしょうか?

 

(ちなみに文中で出していたフレーズは 「No.1」 という曲のものです)